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羅馬 羅馬男の馬主人生 1971年

  • romanius2144
  • 1 日前
  • 読了時間: 3分

1971年、20歳の羅馬羅馬男は家業である羅馬醸造を継ぎ、父の遺した財産を元手に北海道で牧場を開業した。

サラブレッド生産を主目的としたその牧場はロマニウス牧場と名付けられ、ここから羅馬のオーナーブリーダーとしての人生が始まった。


・ロマニウス

知人に譲られた競走馬をロマニウスと名付けた羅馬は、1971年1月15日に馬主としてデビューした。

奈良井騎手を背にしたロマニウスは残念ながら6着に敗れたが、滝野川を鞍上にした次走のつばき賞で一着となり、羅馬に初勝利を届けた。

しかし、滝野川騎手の都合と合わなかったロマニウスは、その後、乗り替わりを繰り返し、しばらく勝利から遠ざかってしまう。菅井騎手を鞍上とした若葉ステークス11着、青島騎手のプリンシパルステークス9着、関騎手の八代特別5着、玉置騎手の兵庫特別3着といった具合である。

4連敗を喫したロマニウスであったが、10月に滝野川騎手を再び鞍上にした清滝特別で勝利し、翌月の比叡ステークスで2着、年末のオリオンステークスを買ってオープン入りした。


・チャミン

ロマニウスを所有する羅馬は、公営競馬で活躍しながらも馬主が中央の資格を持っていなかったためKRAで走らせることができなかった期待馬チャミンを1億で購入した。

雲取賞を勝った勢いで臨んだ中央初戦のバイオレットステークスは2着に敗退するも、続く青竜ステークスで勝利を飾った。その後、大沼ステークス5着、BSN賞3着、ラジオ日経賞5着と堅実な走りを続けていたチャミンは、大阪スポーツ杯で再び勝利を手にした。

続くカノープスステークスでも4着と善戦したチャミンが、中央で常に手綱をとってきた奈良井騎手と共に挑むのは翌年のマーチステークスGIIIであった。


・プルトニア

芝のロマニウス、ダートのチャミンを有する羅馬は、将来的に繁殖とするために牝馬プルトニアを購入した。

6月の小倉でデビューしたプルトニアは、初戦でこそしんがり負けを喫するも、滝野川騎手に乗り替わった2戦目で勝ちあがる。しかし、多忙な滝野川騎手の都合はなかなか合わず、プルトニアはテン乗りを繰り返される。その結果、りんどう賞13着、赤松賞11着、エリカ賞14着と二桁着順を繰り返してしまう。


・フロラベル

北海道の牧場を完成させたロマニウスは、父フロリアドス、母ヘアベル共にフランス馬である繁殖牝馬フロラベルを購入した。

父父であるジェベルは1942年に凱旋門賞を制したフランス馬であり、引退後はバイアリーターク系の大種牡馬として活躍した。

母父のテューダーミンストレルは、羅馬と同様に酒造業を営むデュワーの持ち馬であった。その父である英ダービー馬オーエンテューダーは、ハイペリオン産駒として英米で活躍した種牡馬であった。

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