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羅馬 羅馬男の馬主人生 1981年
・チェッカービール 勝利で1980年を終えたチェッカービールは、1981年の緒戦を京都金杯GIIIで迎えた。ニチドウアラシの2着に敗れたチェッカービールは、次走を小倉大賞典GIIIとしたが、その走りは精彩を欠いていた。続くダービー卿チャレンジトロフィーGIIIでは13着、新潟大賞典GIIIでも16着と大敗を繰り返したチェッカービールは、放牧を挟んで丹頂ステークスに挑んだが、ここでも4着に敗れた。 早熟であった父ロマニウスと同じチェッカービールは、4歳にして早くも衰えを見せ始めていたのである。前年勝利したアンドロメダステークスで12着に敗れたことでチェッカービールの衰えは誰の目にも明らかとなり、年内に引退して種牡馬となった。 ・チェッカーボット 成田特別で2勝クラス初戦を飾ったチェッカーボットは、そこで4着と掲示板入りをし、クラスに通用することを示した。しかし、その後4着、2着、5着、5着、2着と掲示板には載るが勝ちきれない競争を繰り返した。 そんな中でチェッカーボットは三陸特別に挑むこととなるが、ここでは展開が見事にはまってレコード勝ちをし、人々


羅馬 羅馬男の馬主人生 1980年
チャミンの手綱を取っていた奈良井騎手を筆頭に、1980年は羅馬オーナーの周囲の人や馬が多く引退した年であった。 羅馬オーナーの馬を預かっていた平原調教師も勇退し、平原厩舎の馬は滝野川厩舎へ移った。平原調教師の馬に跨っていた滝野川騎手が、今度は調教師として羅馬オーナーの馬と数々のドラマを生み出していくこととなったのである。 また、ロマニウス牧場最初の繁殖牝馬であったフロラベルも高齢を理由に引退した。これまで15頭の産駒を世に送り出し、重賞勝ち馬こそでなかったが、高い勝ち上がり率を誇った。彼女の血はチェッカーオテンバやチェッカーハゴロモに受け継がれていくこととなる。 ・チェッカーコウソク 前年にオープン入りを果たしたチェッカーコウソクであったが、既に8歳の高齢であったこともあり、昇級戦以降は精彩を欠いた走りしかできなかった。 オープン戦を8着、7着、12着と大敗したチェッカーコウソクもまた1980年に引退した競走馬の一頭であった。引退後はスピードシンボリとフロラベルの血を後世に残すために種牡馬となった。 ・チェッカーハゴロモ チェッカーコウソクと同様


羅馬 羅馬男の馬主人生 1978年
・チェッカーコウソク 乗り替わりに苦しめられるチェッカーコウソクの状況は、1978年に入っても変わらなかった。深谷、井上、西条がまたがった3レースは、それぞれ7着、4着、2着という結果に終わった。6歳のチェッカーコウソクには引退の陰も見え隠れしていた。 そのような状況の中で行われた7月の1勝クラス戦、6度目の騎乗となる井上はついにチェッカーコウソクを勝ち上がらせることに成功した。そして、2勝クラスへ上がったチェッカーコウソクは、緒戦を驚くべき強さで勝つこととなる。 8月の札幌で行われた札幌日刊スポーツ杯は、チェッカーコウソクが2勝クラスで通用するかどうかの力試しの意味があった。ここに出走する馬の多くは2勝クラスで何度も戦った経験がある上に、舞台となるのはチェッカーコウソクにとって久々の芝だったからである。ステイヤーであるチェッカーコウソクは、ダートを得意としていたが、長距離のダート番組が限られていたこともあり、ここで再度芝の適性を試そうとしていた。陣営にとってテストの意味合いが強かった札幌日刊スポーツ杯だったが、終わってみればチェッカーコウソクに

