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羅馬 羅馬男の馬主人生 1999年
・ロマノクローチェ ロマノツァイトに並んで世界を股にかけるようになったロマノクローチェは、1998年緒戦の舞台を香港に選んだ。だが、そこで行われた香港ゴールドカップG1では2着に敗退し、帰国後の大阪杯GIやヴィクトリアマイルGIでも、それぞれ6着と3着に惜敗した。 7月、再び海外へ渡ったロマノクローチェは、アメリカ合衆国で行われるダイアナステークスG1を勝利し、3つ目の海外G1タイトルを手にした。 既にベルリン大賞を制していたロマノクローチェは、ドイツにおけるもう一つの重要なG1競走であるバーデン大賞に向かうが、ここでは惜しくも2着に敗退。昨年に引き続き参戦した凱旋門賞G1では、もう一頭の日本調教馬エルコンドルパサーが現地の本命であったモンジューをレコード決着で破り、日本競馬史の新たな一頁を開いた。 その後、香港へ向かったロマノクローチェは、香港カップG1の7着で1999年の走りを終えた。 ・ロマノツァイト 3歳から海外遠征を積極的に行ってきたロマノツァイトは、1999年も様々な国に渡った。緒戦のサンタアナステークスG3を快勝したロマノツァイトは


羅馬 羅馬男の馬主人生 1998年
・ロマノクローチェ ロマノクローチェの1998年緒戦は、米国のペガサスフィリーメアターフG2であった。ここでマックスジーンを負かして海外における二つ目のタイトルを取った後、金鯱賞GIIでも勝利。ヴィクトリアマイルGIでは、メジロドーベルとの一騎打ちが予想されたが、秋華賞を駆った時と同じくロマノヘリオスが人気薄から飛び出し、ロマノクローチェは3着に敗れた。 夏、ドイツへ向かったロマノクローチェは、ハンザ賞G2を快勝すると、昨年2着であったベルリン大賞G1に臨み、59kgの斤量を苦にすることなく、羅馬オーナーに二度目のベルリン大賞勝利を届けた。そして、ベルリン大賞勝ちの勢いを駆って挑んだ凱旋門賞G1では、一番人気に推されるも3着に惜敗した。 ベルリン大賞と凱旋門賞での活躍を手土産に帰国したロマノクローチェは、日本競馬界における主演女優となっていた。しかし、日本には彼女を凌ぐ女帝が君臨していた。エアグルーヴである。海外での実績や四冠牝馬として栄誉から一番人気に推されたジャパンカップでは、女帝に屈しての6着と初めて掲示板を外した。人気を三番に落とした有馬


羅馬 羅馬男の馬主人生 1997年
・ロマノクローチェ 1995年に四冠を達成したロマノクローチェは、1996年には海外G1を勝利していた。だが、彼女の実力は におけるG1を1勝する程度では十二分に示せたとは言えなかった。そう考えた陣営は、ロマノクローチェの1997年前半シーズンを海外G1に挑戦する時期とした。ペガサスワールドカップトロフィーを皮切りに、オーストラリアンカップ、ガネー賞と米・豪・仏のG1に挑戦したロマノクローチェであったが、結果は全てが2着、2着、4着の惜敗に終わった。 だが、帰国後緒戦となった宝塚記念では、昨年の天皇賞(秋)と有馬記念で苦汁をなめさせられたサクラローレルに勝利し、GI6勝目を飾った。そしてこれは滝野川調教師にとって記念すべき1000勝目でもあった。 宝塚記念後、再び矛先を海外に向けたロマノクローチェは、チェッカーアトラスに続くベルリン大賞G1勝利を目指したが、ここでも2着に惜敗した。 帰国後は昨年3着に終わった天皇賞(秋)と有馬記念の勝利を目指したが、新たな女帝エアグルーヴに屈し、奇しくも再びの3着に沈んだ。 ・ロマノエクスプレス...
