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羅馬 羅馬男の馬主人生 1972年
・ロマニウス 1971年を9戦3勝2着1回3着1回の戦績で終えたロマニウスは、1972年のシーズンを2月のアルデバランステークスで始めた。新馬依頼のダート戦となったアルデバランステークスで初のオープン勝ちを飾ったロマニウスは、芝だけでなくダート適正の高さを示した。 翌月、再びダートの仁川ステークスも勝って三連勝したロマニウスが次の戦場に選んだのは、平安ステークスGIIIであった。しかし、ここまでロマニウスを勝利に導いてきた滝野川騎手の予定がつかなかったことから乗り替わった北城騎手が仕掛けどころを間違えたことから、5着の惜敗。オーナーに初の重賞タイトルを届けることはできなかった。 続くシリウスステークスGIIIでは滝野川騎手に手綱が戻るも二着に終わり、ロマニウスの前に重賞の壁が立ちはだかった。 放牧を挟んで臨んだカノープスステークスでは、テン乗りの河原騎手と折り合いが合わずに5着。一番人気を裏切ってしまった。 照準を地方交流競争に切り替えたロマニウスは、滝野川騎手を鞍上に名古屋大賞典JpnIIIに挑むが、3着に終わり、ここでも地方の強豪に重賞タイト
羅馬 羅馬男の馬主人生 1971年
1971年、20歳の羅馬羅馬男は家業である羅馬醸造を継ぎ、父の遺した財産を元手に北海道で牧場を開業した。 サラブレッド生産を主目的としたその牧場はロマニウス牧場と名付けられ、ここから羅馬のオーナーブリーダーとしての人生が始まった。 ・ロマニウス 知人に譲られた競走馬をロマニウスと名付けた羅馬は、1971年1月15日に馬主としてデビューした。 奈良井騎手を背にしたロマニウスは残念ながら6着に敗れたが、滝野川を鞍上にした次走のつばき賞で一着となり、羅馬に初勝利を届けた。 しかし、滝野川騎手の都合と合わなかったロマニウスは、その後、乗り替わりを繰り返し、しばらく勝利から遠ざかってしまう。菅井騎手を鞍上とした若葉ステークス11着、青島騎手のプリンシパルステークス9着、関騎手の八代特別5着、玉置騎手の兵庫特別3着といった具合である。 4連敗を喫したロマニウスであったが、10月に滝野川騎手を再び鞍上にした清滝特別で勝利し、翌月の比叡ステークスで2着、年末のオリオンステークスを買ってオープン入りした。 ・チャミン ロマニウスを所有する羅馬は、公営競馬で活躍しな

