羅馬 羅馬男の馬主人生 1972年
- romanius2144
- 1 日前
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・ロマニウス
1971年を9戦3勝2着1回3着1回の戦績で終えたロマニウスは、1972年のシーズンを2月のアルデバランステークスで始めた。新馬依頼のダート戦となったアルデバランステークスで初のオープン勝ちを飾ったロマニウスは、芝だけでなくダート適正の高さを示した。
翌月、再びダートの仁川ステークスも勝って三連勝したロマニウスが次の戦場に選んだのは、平安ステークスGIIIであった。しかし、ここまでロマニウスを勝利に導いてきた滝野川騎手の予定がつかなかったことから乗り替わった北城騎手が仕掛けどころを間違えたことから、5着の惜敗。オーナーに初の重賞タイトルを届けることはできなかった。
続くシリウスステークスGIIIでは滝野川騎手に手綱が戻るも二着に終わり、ロマニウスの前に重賞の壁が立ちはだかった。
放牧を挟んで臨んだカノープスステークスでは、テン乗りの河原騎手と折り合いが合わずに5着。一番人気を裏切ってしまった。
照準を地方交流競争に切り替えたロマニウスは、滝野川騎手を鞍上に名古屋大賞典JpnIIIに挑むが、3着に終わり、ここでも地方の強豪に重賞タイトルを阻まれてしまった。
・チャミン
中央移籍後の7戦全てで掲示板に乗るという堅実な走りを見せるチャミンは、放牧空けの1972年シーズンをマーチステークスGIIIで始めた。しかし、重賞の厚い壁を前にしたチャミンは10着に終わり、デビュー以来初の二桁着順に終わった。
5月の平安ステークスGIIIも10着で敗れたチャミンは、ここまで一貫して手綱を握ってきた奈良井騎手から東村騎手に乗り替わって、7月のマリーンステークスに臨んだ。
マリーンステークスで3着に入ったチャミンは、再び東村騎手を背に挑んだブラジルカップでも3着に入り、以前の堅実な走りを見せた。
秋、チャミンはロマニウスも出走するカノープスステークスに向かったため、羅馬所有馬の一着二着が期待された。だが、テン乗りの河原騎手と折り合いを欠いたロマニウスが5着であったのに対し、乗り替わりの大島騎手を鞍上にしたチャミンは見事に一着入線した。
12月のベテルギウスステークスでは惜しくも6着に敗れるも、チャミンとの相性の良さから、主戦は奈良井から大島騎手へと変更になった。
・プルトニア
勝ち上がり後に大敗が続くプルトニアの敗因は明らかであった。つまり、乗り代わりの激しさである。
後にチャミンの主戦となる大島騎手を背にした君子蘭賞の9着で1971年を始めたプルトニアは、緒方騎手を鞍上とした次走の矢車賞では4着と前身、滝野川騎手と再タッグを組んだ英彦山特別では2着に惜敗した。
8月のルスツ特別では平沼騎手を背に4着、東村騎手と臨んだ一勝クラスでは3着と惜しい競馬が続いた。
チャミンの主戦となった大島騎手と挑んだ12月の中山での一勝クラスでも2着に敗れたプルトニアは、1971年の間に勝ち上がることはできなかった。
・ロマーナ
牧場の開業祝いに譲られたスギヒメ70は、翌年、ロマーナという名でクラシックレースで活躍することとなる。
ロマーナは、イタリアダービー、プリンチペアメデオ賞、イタリア大賞、ミラノ大賞典を勝ったイタリアを代表する名馬セダンを父とし、母は桜花賞馬スギヒメという超良血であった。
そんなロマーナは林騎手を鞍上に10月の京都競馬場でデビュー。大差で新馬勝ちをしたことで周囲を驚かせた。ロマーナの実力を確信した陣営は、彼女の次走を阪神ジュベナイルフィリーズGIに定めた。
羅馬にとって初のGI挑戦となる阪神ジュベナイルフィリーズでロマーナは、桜花賞2着、オークス3着となるニットウチドリの4着という期待以上の走りを見せた。なお、ここで3着であったレデースポートは桜花賞馬となり、2着に入ったナスノチグサは桜花賞4着、オークス6着となっていることから、レースのレベルの高さを窺い知れる。
しかし、この激走の反動からかロマーナの体調は下降傾向に向かい、肝心のクラシックシーズンを万全の体調で迎えられなくなってしまう。

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