羅馬 羅馬男の馬主人生 1973年
- romanius2144
- 12月3日
- 読了時間: 4分
更新日:5 日前
・ロマニウス
一年以上勝利から遠ざかっているロマニウスは、次走を佐賀競馬場で行われる佐賀記念JpnIIIに定めた。3着に終わった名古屋記念と同じく滝野川騎手を鞍上に挑んだ地方交流重賞であったが、ここでもロマニウスは地方の強豪を前に敗北を喫することとなった。しかも、6着という掲示板すら外す敗北である。
この時の敗北がロマニウスの心身に大きなダメージを負わせてしまったのか、次走、得意とする京都競馬場で行われた平安ステークスGIIIでは11着と惨敗した。
だが、それ以上にロマニウスのプライドを傷つけたのは、7月に函館競馬場で行われたマリーンステークスであった。羅馬の持ち馬であるチャミンと共に出走したマリーンステークスは、ロマニウスに自信を取り戻してもらうはずの競争であった。しかし、終わってみれば勝利したのはチャミンであり、ロマニウスは同厩舎・同オーナーの格下馬を相手に12着の大敗を喫したのである。
心身のダメージと衰えを隠せないロマニウスは、次走の地方交流重賞の白山大賞典JpnIIIでは掲示板に乗る5着と健闘するも、地元で行われたカノープスステークスでは殿負けであった。得意のコースで、息の合う滝野川騎手を鞍上としての大敗は、ロマニウスの衰弱を決定的に示す結果であった。
・チャミン
大島騎手に主戦が替わったチャミンは、放牧空けの仁川ステークスで5着、翌月のポラリスステークスでも5着と、いつも通りの堅実な走りを見せていた。そして、叩き三走目の栗東ステークスと、続くマリーンステークスでチャミンは覚醒を見せることとなる。
栗東ステークスで半年ぶりの勝利を手にしたチャミンは、勢いを保ったまま挑んだマリーンステークスで、同厩舎・同オーナーの格上馬ロマニウスに圧勝したのである。このレースで自信をつけたチャミンは、以降、ブラジルカップ2着、カノープスステークス2着という結果を残し、1973年下半期を全連対で終えた。
・プルトニア
激しい乗り替わりのために競走成績が安定しないプルトニアの1973年の緒戦は、またしてもの乗り替わりであった。石上騎手を鞍上にして臨んだ3歳以上1勝クラスでは2着、続く燧ヶ岳特別では奈良井騎手鞍上で7着、石上騎手に戻った再びの1勝クラスは4着に敗れた。
このように惜しい競馬を繰り返すプルトニアであったが、名手滝野川が再び手綱をとった10月の1勝クラスで見事勝利を収め、2勝クラスへの勝ち上がりを決めた。
だが、昇級初戦では再び乗り替わりを余儀なくされ、洲崎騎手を鞍上に6着の敗北を喫した。
・ロマーナ
阪神ジュベナイルフィリーズで4着と好走したロマーナは、羅馬オーナーにとって期待の一頭であった。そんな彼女にとって1973年の緒戦となった菜の花賞は、予想外の結果に終わってしまった。中山競馬場で行われた3歳1勝クラスの菜の花賞は、GI4着の経験があるロマーナにとって圧勝に終わると思われていたが、ヤマニンテイルズの3着という結果であった。
相手を考えれば勝つべきであった菜の花賞の敗北は、彼女の実力に疑問を投げかけることとなったが、陣営は彼女の実力を信じてクラシック戦線への挑戦の意志を崩さなかった。その期待に応えるように、林騎手に乗り替わった次走のエルフィンステークスでは見事勝利を収めている。
クラシック本番を前にしたロマーナは、チューリップ賞GIIに挑戦し、桜花賞馬レデースポートの2着と健闘した。しかし、12月からの連闘が祟ったのか、本番の桜花賞では見せ場がなく、14着の大敗を喫した。ロマーナの体調不良を察した陣営は、オークスへの挑戦を諦め、彼女を半年の放牧に出した。なお、ロマーナが北海道で英気を養う中、オークスでは桜花賞3着のベルオブトウショウがレデースポートを下していた。
放牧空けの秋初戦の舞台をローズステークスGIIに選んだロマーナは、そこでオークス馬ベルオブトウショウの鼻差2着に迫り、復調と実力を示した。そして三冠目の秋華賞に挑んだロマーナであったが、ここではライバルたちの後塵を拝し、6着に敗れた。勝ったのはオークス馬ベルオブトウショウ、2着は阪神ジュベナイルフィリーズ馬ニットウチドリ、3着は桜花賞馬レデースポートと、彼女たちとの実力の差をまざまざと見せつけられる結果に終わった。
・チェッカーイチバン
ロマニウス牧場の繁殖牝馬フロラベルが生んだシンザンの子が、競走馬としてデビューすることとなった。ロマニウス牧場で生まれた一番仔である彼には、チェッカーイチバンという名前が与えられた。
牧場とオーナーの期待を一身に背負ってデビューしたチェッカーイチバンは、滝野川騎手を鞍上とした初戦を2着と好走した。だが、白井騎手に乗り替わった次走では6着と掲示板を外してしまった。

コメント