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羅馬 羅馬男の馬主人生 1974年

  • romanius2144
  • 12月3日
  • 読了時間: 4分

更新日:3 日前

・ロマニウス

2年近く勝利から遠ざかっているロマニウスは、昨年に引き続き、佐賀記念JpnIIIでの逆転を図った。しかし、結果は昨年以下の9着であった。

引退を薦める声もあがる中、現役を続行したロマニウスは、続いて大阪ーハンブルクカップに挑戦した。同厩舎・同馬主の中で最も実力のあるロマーナと初めて一緒に出走したロマニウスであったが、ここでも17着の大敗を喫した。

放牧に出されたロマニウスは、10月にブラジルカップを、11月にカノープスステークスをチャミンと共に走るも、両方とも殿負けに終わっている。もはや、ロマニウスがかつての走りを見せることはできないと誰もがささやいた。


・チャミン

1973年下半期を全連対で終えたチャミンは、1974年に全勝という驚くべき記録を打ち立てることとなる。

緒戦の仁川ステークスを勝利した後、吾妻小富士ステークス、栗東ステークス、マリーンステークス、ブラジルカップ、カノープスステークスと破竹の6連勝を決めたのである。しかも、勝ち方は逃げから差しまで自由自在であり、勝ち方も二着に数馬身差をつける圧勝であった。しかも、カノープスステークスの勝利はレコードであった。

堅実な走りを見せたかつての善戦マンは、大島騎手への乗り替わりとレース中に得られた自信から、一気にダート路線の強豪へと成長した。重賞挑戦への期待の声が高まる中、陣営はチャミンの連勝記録を伸ばすことに専念し、チャミンを放牧に出した。


・プルトニア

滝野川騎手を鞍上に2度の勝ち上がりを決めたプルトニアは、3度目の勝利も名手の手綱さばきに導かれることとなった。

滝野川騎手を鞍上とした1974年1月の逢坂山特別で見事勝利し3勝クラスに上がったプルトニアは、昇級初戦のシドニートロフィーも同じコンビで2着と善戦し、クラスに対応できる実力を示した。

そして8月に行われた三方ヶ原特別で、3勝クラス2戦目にして勝利を収めている。この度もプルトニアを勝たせたのは滝野川騎手であった。

晴れてオープン入りしたプルトニアは、10月の新潟牝馬ステークスで初のリステッド競争を経験した。滝野川騎手とのコンビで3着に入ったプルトニアであったが、続くアンドロメダステークスでは大森騎手に乗り替わり、9着に敗れている。


・ロマーナ

クラシックシーズンを終えて古馬となったロマーナは、1974年を小倉牝馬ステークスGIIIで始めることとなった。林騎手から乗り替わった滝野川騎手は、ロマーナが馬込みを苦手とすることを指摘し、彼女の末脚を信頼した極端な大外一気の戦法を提案した。直線の短い小倉競馬場で、その戦法は噛み合わなかったが、それでも5着の掲示板入りを果たした。

翌月の小倉大賞典GIIIでも同様の理由から4着であったが、彼女の鋭い末脚への期待が高まる結果となった。

そんなロマーナの末脚が光ったのは、より広い阪神競馬場で開催された大阪―ハンブルクカップでのことであった。同厩舎・同オーナー馬のロマニウスと共に出走した大阪―ハンブルクカップで、ロマーナは異次元の末脚を発揮し、一年ぶりの勝利を飾った。滝野川騎手から乗り替わっていた大島騎手は、前任者の考案した、馬込みを避ける大外の戦法を駆使してロマーナの実力を解放したのである。

ロマーナには直線の長いコースがあっている。そう確信した陣営は、戦場を東京競馬場に定め、府中牝馬ステークスGIIIに挑戦した。ここでもロマーナは鋭い末脚を見せたが、中山牝馬ステークスの勝ち馬エイシンウールに届かずの3着に終わった。

続くアンドロメダステークスでも同様の作戦をとったが、ここでは歴戦のパーダルダイナに敗れて2着に終わった。リステッドですら勝てないロマーナの実力に疑問の声もあがりはじめていたが、陣営は彼女と滝野川騎手が考案した戦術を信じて、彼女の挑戦を続けさせた。


・チェッカーイチバン

滝野川騎手を鞍上に2着で新馬戦を始めたチェッカーイチバンであったが、その後は乗り替わりを繰り返し、惜しい競馬を繰り返した。

大島騎手に手替わった年初の未勝利戦では4着、滝野川騎手に戻った2月の未勝利戦で3着と掲示板には乗り続けたチェッカーイチバンは、奈良井騎手鞍上で2着、峰岸騎手鞍上で3着とその後も勝ちきれない競馬を続けた。

そんなチェッカーイチバンにチャンスが訪れたのは、6月。白井騎手を鞍上に勝利を決め、見事勝ち上がりを果たした。だが、1勝クラスに上がったチェッカーイチバンは、骨っぽい相手を前に惨敗を繰り返すこととなる。

7月のマカオジョッキークラブトロフィーの9着という結果で1勝クラスを始めたチェッカーイチバンは、続く競争では13着に敗れた。若手の西条に手替わった翌月の競争でも12着に沈み、白井騎手に手綱を戻した11月の競馬も7着と敗退している。

平原調教師の提案により登録した栄特別でも、峰岸ジョッキーを背に8着と、厚いクラスの壁がイチバンの前に立ちはだかっていた。



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