top of page

羅馬 羅馬男の馬主人生 1976年

  • romanius2144
  • 2 日前
  • 読了時間: 6分

・チャミン

1974年にはレコード勝ちを決め、1975年までに10連勝の勢いを誇っていたチャミンであったが、その走りにも加齢の陰が見え隠れするようになっていた。しかし、その堅実な走りから馬券ファンが多いのみならず、派手な戦績から一般のファンも多いチャミンは、恥ずかしい競馬をするわけにはいかなかった。

1975年を師走ステークスの勝利で終えたチャミンは、1976年の緒戦である仁川ステークスでは2着に惜敗したものの、続く吾妻小富士ステークスでは見事一番人気に応えてみせた。3年連続で吾妻小富士ステークスを勝利してみせたチャミンは、周囲から期待される重賞タイトルをつかみ取るため、5月平安ステークスGIIIに挑んだ。

しかし、ここでの敗北はファンも陣営も、そしてチャミンにとっても衝撃の結果となった。これまでオープン戦で最強のダート馬の名をほしいままにしてきたチャミンが、重賞戦では1番人気ながら9着という惨敗を喫したのである。

陣営は重賞戦を諦め、再びチャミンの主戦場であるオープン戦に焦点を合わせることとした。しかし、チャミンが受けた精神的なダメージは深く、BSN賞で6着、ブラジルカップ8着、カノープスステークス6着とこれまでの走りができなくなっていた。これ以上チャミンに恥をかかせられないと考えた陣営は、チャミンの年内引退を決めた。

それでも唯一、ファンだけはチャミンの事を見捨てなかった。彼がどれだけ無様な負け方をしても、チャミンは常に一番人気に推され続けたのである。チャミンの10連勝記録は広く知られているが、それ以上に感動的なのは、彼は1973年7月から23回連続で一番人気に推されてきたのである。チャミンは重賞勝ち馬ではないにも拘らず、いかにファンから人気があったのかが窺い知れるデータであろう。

ファンの期待を裏切ることのできないチャミンは、自身の最終戦である師走ステークスで見事馬券に絡む3着に入り、ダートを去っていった。53戦19勝という戦績もさることながら、10連勝や23回連続の一番人気、京都ダート1900メートルのレコードホルダーなど数々の驚嘆すべき記録を残した馬であった。生涯で掲示板を外したのは7回だけで、うち3回はGIIIでったというのも立派である。


・ロマーナ

1975年をエリザベス女王杯での強い勝利で終えたロマーナは、1976年の緒戦である京都金杯GIIIでも見事勝利を飾り、オーナーに二つ目の重賞タイトルを届けた。勢いそのままで挑んだ次走京都記念GIIはドージングテリオスの2着と惜敗し、激戦の傷を癒すためにロマーナは放牧に出された。

ロマーナの秋緒戦となった京都大賞典GIIは、数々の名馬が集まったスーパーGIIとなった。昨年の年度代表馬ロングホークを筆頭に、今年の天皇賞(春)と宝塚記念の勝ち馬フジノパーシア、1975年の菊花賞馬タイホウヒーロー、京都記念でロマーナを破ったドージングテリオス、そして「流星の貴公子」テンポイントなど、錚々たるメンバーがロマーナの前に立ちはだかった。これら重賞で数々の勝利をあげている強豪を前にロマーナは、力を発揮できず、テンポイントの逃げ切りを許した9着に沈んだ。

翌月、昨年強い勝ち方をしたエリザベス女王杯の連勝を狙ったロマーナであったが、ここでもまた若い世代を前に、古馬の女王の貫禄を見せつけることができなかった。勝利したのは今年の秋華賞馬バブルハンズ、2着にはロマーナより年上の穴馬メジロティータ、3着には1番人気の今年の二冠馬テイタニヤ、そしてロマーナは4着という結果であった。若い世代に主役を譲り渡す決意を固めたロマーナは、年内の引退を決め、有馬記念の最終レースとした。

京都大賞典で覇を競ったテンポイントやロングホーク、フジノパーシア、そしてエリザベス女王杯で先着を許したバブルハンズとテイタニヤらに加え、本年の2冠馬トウショウボーイや菊花賞馬グリーングラス、弥生賞馬カブラヤオーなどを相手に挑んだ有馬記念では、流石に相手が強すぎたが、11番人気の8着と健闘した。中でもバブルハンズとテイタニヤに先着することで、エリザベス女王杯の雪辱を果たしたと言えるだろう。なお、勝利したのは二冠馬トウショウボーイ、二着にフジノパーシア、3着にはカブラヤオーであり、テンポイントは4着に敗れた。特にフジノパーシアは二着であったが、天皇賞の春秋制覇と宝塚記念の勝利が認められ年度代表馬に選ばれた。

羅馬オーナーに初の重賞タイトルを届けたロマーナは、24戦6勝という戦績でターフを去り、ロマニウス牧場で繁殖牝馬となった。


・チェッカーイチバン

常にクラスの壁に苦しめられてきたチェッカーイチバンの最終シーズンとなった1976年は、彼のその苦戦を象徴するような年であった。早春ステークスの16着から始めたチェッカーイチバンは、府中ステークス13着、日本海ステークス15着、古都ステークス13着、グレイトフルステークス14着と二桁着順を繰り返した。

完全に頭打ちになっているチェッカーイチバンの競争継続は酷だと判断した陣営は、引退を決断。ロマニウス牧場で生産した最初の競走馬チェッカーイチバンは、26戦3勝の戦績を残して引退した。引退後はそのおとなしく人懐こい性格が買われ、乗馬クラブで第二の馬生を送ることとなった。


・チェッカーコウソク

プルトニアのように不憫なほどの乗り替わりに苦しめられることとなったチェッカーコウソクは、1976年を1勝クラスで停滞しながら過ごした。西条騎手と2着、奈良井騎手と7着、井上騎手と7着、関騎手と10着、上田騎手と2着と浮き沈みの激しい一年を送った。


・レヴィン

1勝クラス勝ち上がりの緒戦は10着と大敗を喫したレヴィンであったが、2走目にはクラス慣れを示して4着に入着し、3走目のわらび賞で二勝目をあげた。舞台は初勝利と同じ新潟で、鞍上も同じく峰岸ジョッキーであった。

わらび賞での勢いそのままで挑んだ津軽海峡特別でも勝利したレヴィンは、なんとポプラステークスで三連勝を決め、見事オープン入りを果たした。ロマニウス、チャミン、プルトニア、ロマーナに続く5頭目のオープン馬となったレヴィンは、それら先輩馬が引退していく中で羅馬オーナー期待の馬となった。

だが、競馬はそれほど簡単ではない。オープン緒戦のブラジルカップでは、チャミンのような走りは見せられずに9着、続くカノープスステークスでも9着に敗れた。


・チェッカーオテンバ

新馬勝ちを決めてクラシックを期待されたチェッカーオテンバであったが、それが過大評価であったことがすぐに明らかになる。昨年のサフラン賞に続き、ジュニアカップでも8着に敗れたチェッカーオテンバは、ゆりかもめ賞でも9着と大敗を喫した。

陣営はダートを一度試しに使うと3着の戦績を残したため、ダート替わりも検討された。最後にもう一度芝の適性を図るために出走した矢車賞で3着に入ったため、陣営は芝のレースを続行。そして見事、函館競馬場を舞台とした芝2000メートル戦で2勝目をあげた。

勝ち上がり緒戦となった藻岩山特別でも2着とセンスのある走りを見せたチェッカーオテンバは、続く夕月特別でも2着、清流特別では7着に敗れたが、11月の2勝クラス戦でも2着に入るという惜しい競馬を続けた。



コメント


©2022 by Archium Romanium。Wix.com で作成されました。

bottom of page