羅馬 羅馬男の馬主人生 1978年
- romanius2144
- 2025年12月21日
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・チェッカーコウソク
乗り替わりに苦しめられるチェッカーコウソクの状況は、1978年に入っても変わらなかった。深谷、井上、西条がまたがった3レースは、それぞれ7着、4着、2着という結果に終わった。6歳のチェッカーコウソクには引退の陰も見え隠れしていた。
そのような状況の中で行われた7月の1勝クラス戦、6度目の騎乗となる井上はついにチェッカーコウソクを勝ち上がらせることに成功した。そして、2勝クラスへ上がったチェッカーコウソクは、緒戦を驚くべき強さで勝つこととなる。
8月の札幌で行われた札幌日刊スポーツ杯は、チェッカーコウソクが2勝クラスで通用するかどうかの力試しの意味があった。ここに出走する馬の多くは2勝クラスで何度も戦った経験がある上に、舞台となるのはチェッカーコウソクにとって久々の芝だったからである。ステイヤーであるチェッカーコウソクは、ダートを得意としていたが、長距離のダート番組が限られていたこともあり、ここで再度芝の適性を試そうとしていた。陣営にとってテストの意味合いが強かった札幌日刊スポーツ杯だったが、終わってみればチェッカーコウソクによるレコード勝ちであった。この強い勝利により、羅馬オーナーの所有馬は、チャミン、ロマーナに続いてレコードを叩き出したのであった。
2連勝で3勝クラスへ昇格したチェッカーコウソクは、昇級戦を京都競馬場の古都ステークスとしたが、ここでは井上ジョッキーから緒方ジョッキーに手替わったことが影響したのか、4着に惜敗した。井上騎手に手戻った次走のグレイトフルステークスは、中山の坂が影響し、11着の惨敗を喫した。
・チェッカーハゴロモ
ハクリョウを父とするフロラベル75は、能に由来する父の名から連想してチェッカーハゴロモと名付けられた。凄まじいパワーの牝馬であるチェッカーハゴロモは、坂のある競馬場での活躍が期待されていた。
しかし、そのデビュー戦は平坦な京都競馬場で迎えたため、真価を発揮できず3着に終わった。2走目の舞台を「心臓やぶりの坂」がある中山としたチェッカーハゴロモは、惜しくも2着に敗れたが、阪神競馬場で迎えた3走目で逃げ切り、嬉しい初勝利を遂げた。
チェッカーハゴロモを勝利に導いた大島ジョッキーが主戦として指名されるも、昇級初戦は騎手の都合が付かず、東村騎手に乗り替わった。そして東村騎手は、大きな騎乗ミスを犯すこととなる。チェッカーハゴロモは逃げ馬であるにも拘わらず、東村騎手は彼女を馬群の中に置いてしまったのである。その結果、チェッカーハゴロモは8着に敗れた。憤慨した羅馬オーナーは、東村騎手を叱責し、以降、大島騎手の都合がつかない場合は出走させないとまで言い始めた。
怒りが収まらない羅馬オーナーは、次走、大島騎手に東村騎手のようなミスを繰り返さないように注意し、チェッカーハゴロモを逃げさせるように命じた。しかし、この時のプレッシャーからか、チェッカーハゴロモはオーバーペースの大逃げを始めてしまい、結局、直線でずるずると後退し、12着の大敗を喫してしまった。行き過ぎた指示を反省した羅馬オーナーは、以降、彼女の騎乗に関しては大島騎手に一任することとした。
こうして迎えた1勝クラス3走目でチェッカーハゴロモは好走するも、惜しくも3着に敗れた。しかし、続く土湯温泉特別では見事逃げ切り勝ちを決め、2勝クラスへ勝ち上がった。昇級緒戦も3着に逃げ粘り、1979年が楽しみな馬の一頭となった。
・ハナコ
羅馬オーナーが幼駒セールで購入した栗毛の牝馬は、ハナコと名付けられ、3月の小倉でデビューした。父ダイシンボルガード、母フジスパニッシュという血統のハナコは、羅馬オーナーが選んで買った馬ではなく、周囲に勧められて購入した一頭であった。彼女の能力に半信半疑であった羅馬オーナーの心配は、しかし、ハナコが新馬勝ちすることで払拭された……、と思われた。
1勝クラスに上がったハナコであったが、その走りは惨憺たるものであった。11着、12着、16着、10着と二桁着順を繰り返したのである。阪神競馬場での1勝クラスでは7着と前進するも、羅馬オーナーはハナコを“つかまされた”一頭であると考えるようになっており、年内に引退させる決意を固めた。だが、その考えは、奈良井騎手を鞍上としてハナコが勝ち上がったことで揺らぐこととなる。
奈良井騎手の手綱に導かれて2勝クラスへあがったハナコであったが、6着、8着と惜しい競馬を繰り返した。このまま使えば3勝クラスも遠くない、という意見もあったが、自分が選んでいない馬をいつまでも走らせたくない羅馬オーナーは、当初の予定通り、年内に彼女を引退させ、繁殖牝馬とした。

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