検索


羅馬 羅馬男の馬主人生 1979年
・チェッカーコウソク 乗り替わりに苦しめられていたチェッカーコウソクであったが、井上騎手が安定して手綱を取るようになったことでその成績も安定するようになっていた。井上騎手鞍上で3勝クラスに勝ち上がったチェッカーコウソクは、緒戦こそ11着の大敗を喫したが、クラス2戦目では2着と健闘した。 クラス3戦目となる桃山ステークスでは7着と再び掲示板を外したが、続くオホーツクステークスでは4着に食い込んだ。そして、村田騎手に乗り替わった神無月ステークスで見事1位入線し、晴れてオープン馬の仲間入りを果たした。 ・チェッカーハゴロモ 昇級緒戦を3着に逃げ粘ったチェッカーハゴロモであったが、2戦目では9着と惨敗してしまった。それでも続く安房特別では2着と連対し、クラスで通用する力を示した。5月の国分寺特別でも4着と掲示板入りを果たしたチェッカーハゴロモは、ついに6月の松島特別で3勝目を挙げた。 3勝クラスとなったチェッカーハゴロモは、昇級戦で3着の成績を残してクラスの目途をたてると、続く三年坂ステークスで4着、そしてオリオンステークスで再び勝利し、チェッカーコウソ


羅馬 羅馬男の馬主人生 1978年
・チェッカーコウソク 乗り替わりに苦しめられるチェッカーコウソクの状況は、1978年に入っても変わらなかった。深谷、井上、西条がまたがった3レースは、それぞれ7着、4着、2着という結果に終わった。6歳のチェッカーコウソクには引退の陰も見え隠れしていた。 そのような状況の中で行われた7月の1勝クラス戦、6度目の騎乗となる井上はついにチェッカーコウソクを勝ち上がらせることに成功した。そして、2勝クラスへ上がったチェッカーコウソクは、緒戦を驚くべき強さで勝つこととなる。 8月の札幌で行われた札幌日刊スポーツ杯は、チェッカーコウソクが2勝クラスで通用するかどうかの力試しの意味があった。ここに出走する馬の多くは2勝クラスで何度も戦った経験がある上に、舞台となるのはチェッカーコウソクにとって久々の芝だったからである。ステイヤーであるチェッカーコウソクは、ダートを得意としていたが、長距離のダート番組が限られていたこともあり、ここで再度芝の適性を試そうとしていた。陣営にとってテストの意味合いが強かった札幌日刊スポーツ杯だったが、終わってみればチェッカーコウソクに


羅馬 羅馬男の馬主人生 1977年
1975年にロマニウスとプルトニアが、1976年にチャミンとロマーナ、チェッカーイチバンが引退したのに加え、羅馬オーナーに初勝利を含む多くの勝利を届けてきた滝野川騎手も勇退を決断した。 世代交代が明らかな1977年は、羅馬オーナーにとっても、競馬界にとっても地味な一年となった。 ・レヴィン 羅馬オーナーの次なるエースと期待されていたレヴィンは、オープン戦の壁に苦しめられていた。昇級2戦を9着で終えたレヴィンは、1977年は惨敗を繰り返した。つまり、レグルスステークス15着、平安京ステークス14着、大阪スポーツ杯16着、ベテルギウスステークス16着といずれも殿負けであった。 これ以上レヴィンに競走馬として期待できないと判断した陣営は、レヴィンを種牡馬として繋養することとなった。こうしてレヴィンは13戦4勝という地味な戦績で引退した。 ・チェッカーオテンバ 1976年の間、勝ちきれない惜しい競馬を続けていたチェッカーオテンバは、1977年の緒戦である逢坂山特別でいきなりの勝利を飾った。だが、その後は4着、6着、5着、3着と再び惜敗を続け、10月の大原

