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羅馬 羅馬男の馬主人生 1990年

  • 5 日前
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・チェッカーユキドケ

前年にGIIと海外GIIIを含む重賞6勝を挙げたチェッカーユキドケは、1990年緒戦とした中山記念で、一番人気を背負いながらもまさかの12着という惨敗を喫した。だが、再び一番人気に推された次走マイラーズカップGIIでは人気に応えた。

GIIを快勝したチェッカーユキドケは、5月、最高の栄誉を手にするためGIヴィクトリアマイルに出走した。GIの大舞台で一番人気に推されたチェッカーユキドケは、重圧に負けずにも自分の走りをし、ついにGIタイトルを手にした。

GI馬の仲間入りしたチェッカーユキドケは、マイルGIである安田記念を次走としたが、ここではオグリキャップがレコード勝ちを決めた。

安田記念で4着に敗れたチェッカーユキドケは、約一年ぶりに渡米してグレンズフォールズステークスGIIに挑んだが、ここも2着に惜敗し、2年連続の海外重賞戴冠はならなかった。

帰国後にアイルランドトロフィーGIIに参戦したチェッカーユキドケは、不在の大島騎手に代わり東村騎手が騎乗し、2着に惜敗した。羅馬オーナーの主戦である大島騎手の負担軽減を試みた起用であったが、それが裏目に出たといえよう。

GI2勝目を目指して臨んだエリザベス女王杯GIでは、チェッカーユキドケは大島騎手に手戻り、代わりにチェッカークロイツは英国人騎手ラオンダに乗り替わって参戦してきた。羅馬オーナーが二頭出しをしたエリザベス女王杯であったが、ここで勝ったのは重賞未勝利の伏兵アンサリングダイナ。しかも、衝撃のレコード勝ちであった。2着にはオークス馬のタウンキャスターが入り、チェッカーユキドケは3着、チェッカークロイツは4着に敗れた。

6歳であったチェッカーユキドケは、まだまだ元気いっぱいであったが、繁殖牝馬としての第二の馬生を送るために年内引退を表明した。彼女にとって引退レースとなった有馬記念GIであるが、ここは再びオグリキャップがレコード勝ちし、チェッカーユキドケは6着に沈んだ。


・チェッカーアトラス

大阪杯GIの勝ち馬チェッカーアトラスは、1990年の緒戦である日経賞GIIを快勝し、GI二勝目を狙って宝塚記念GIに参戦した。しかし、ここではオグリキャップがレヴェルの違いを見せつけ、GI連勝を飾った。

オグリキャップという葦毛の怪物に勝てないと考えた陣営は、昨年に引き続きチェッカーアトラスをベルリン大賞GIに向かわせたが、ここは12着に大敗。だが、英国のカンバランドロッジステークスGIIIを勝利し、チェッカーアトラスにとって初めての外国タイトル獲得となった。だが、帰国後、英国人のラオンダ騎手を鞍上に向かったジャパンカップGIでは、再び怪物オグリキャップに敗れた。


・チェッカークロイツ

オークスと秋華賞の勝ち馬チェッカークロイツは、1990年をGIIのAJCC2着で始めた。1990年の緒戦で一番人気を裏切ったチェッカークロイツであったが、2走目となる阪神大賞典GIIでも一番人気に推され、ここではミスターシクレノンを下して勝利した。

昨年のエリザベス女王杯に続くGI奪取を狙って出走した天皇賞春GIでは、主役となったのはイナリワンとスーパークリークであり、チェッカークロイツは7着に敗れた。

態勢を立て直すために参戦した格下の七夕賞GIIIを快勝したチェッカークロイツは、天皇賞秋に向かうために、京都大賞典GIIに挑戦したが、ここには怪物オグリキャップが参戦していた。天皇賞春に続いてオグリキャップに敗北したチェッカークロイツは3着に敗れ、本番の天皇賞秋でもレコード勝ちしたオグリキャップの3着に終わった。

一年年上のチェッカーユキドケと共に引退を表明していたチェッカークロイツは、彼女と共にエリザベス女王杯GIに向かったが、レコード勝ちをしたアンサリングダイナに敗れた。有馬記念に向かったチェッカーユキドケとは異なり、チェッカークロイツはこのエリザベス女王杯を最後に引退した。


・チェッカーゼアミ

重賞未勝利のチェッカーゼアミは、新年早々の中山金杯GIIIでいきなりのタイトル獲得となった。その後、オープン戦を2戦使われたチェッカーゼアミは、リステッドのメトロポリタンステークスを勝ち、二つ目のタイトルを狙った函館記念GIIIとチャレンジカップGIIIで2着と惜敗した。しかし、その後、チェッカーゼアミは精彩を欠き、GIIIで12着と15着と大敗を喫した。これ以上の上積みを期待できないチェッカーゼアミは、こうして4歳で引退し、種牡馬となった。


・チェッカーパブ

3勝クラスで苦戦するチェッカーパブは、1990年も同様にクラスの壁に阻まれた。様々な距離や条件、騎手を変えたものの、2着、7着、4着、13着、4着、4着、6着、10着と敗北を続けた。これ以上の前進は難しいと判断されたチェッカーパブは、1990年末に競走馬登録を抹消され、繁殖牝馬となった。


・チェッカーニシキ

青葉賞GII以来重賞から遠ざかっているチェッカーニシキは、1990年緒戦のリステッド競争であるニューイヤーステークスこそ勝利したものの、その後の重賞挑戦では3着、2着、3着、3着、2着と惜敗を繰り返した。自己条件のリステッド競争パラダイスステークスでは勝利するも、年末に挑んだGII阪神カップでは10着に大敗した。


・チェッカータベルナ

前年の秋華賞馬チェッカータベルナは、新年緒戦の日経新春杯GIIを勝利し、2戦目として米国のフェアグラウンズステークスGIIIに向かったが、ここは6着に敗れた。

帰国後、阪神牝馬ステークスGIIを勝ったチェッカータベルナは、続く目黒記念GIIでは2着、そしてオールカマーGIIでは7着に沈んだが、年末のアルゼンチン共和国杯GIIは勝利して1990年のシーズンを終えた。


・ロザムンデ

繁殖牝馬用に購入されたロザムンデは、前年の年末に2勝目を挙げたが、1990年は11着、6着、11着、12着、9着、16着、11着、6着、9着と勝ち星から遠ざかり、当初の予定通り繁殖にあげられた。


・チェッカーアルマダ

前年の阪神ジュベナイルフィリーズGIの勝ち馬チェッカーアルマダは、1990年緒戦のクロッカスステークスでまさかの敗北を喫した。この敗北を受け、前年の最優秀2歳牝馬チェッカーヒメにクラシックを譲ったチェッカーアルマダは、別路線を歩むこととなった。

初めての敗北の後、チェッカーアルマダはフィリーズレビューGIIとチャーチルダウンズカップGIIIと重賞2連勝をあげ、2つ目のGIを狙ってNHKマイルカップに臨んだが、ここはチャーチルダウンズカップGIIIで下していたテンマアブサロムに敗れての5着に終わった。

2度目の敗北となったNHKマイラーズカップで士気を挫かれたチェッカーアルマダは、以降、しらさぎステークスGIIIで3着、パッシングショットがレコード勝ちしたスワンステークスGIIで8着、ダイタクヘリオスがレコード勝ちしたマイルチャンピオンシップGIでは9着と精彩を欠いた走りをし、3歳でありながら引退した。


・チェッカーヒメ

前年の最優秀2歳牝馬であるチェッカーヒメは、同じく無敗の同期チェッカーアルマダと同様に1990年緒戦で初の敗北を喫した。だが、チェッカーアルマダとは異なり、チェッカーヒメが敗北したのはGIIのチューリップ賞であり、勝ち馬も生涯のライバルとなるタウンキャスターであったため、悲観する内容ではなかった。

予定通りクラシックに駒を進めたチェッカーヒメは、桜花賞GIでは一番人気に応えて一冠目を手にした。しかし、二冠目のオークスGIではライバルのタウンキャスターに敗北し、8着に沈んだ。

秋初戦のクイーンステークスGIIIではコーカサスバスクに敗れての2着だったものの、紫苑ステークスGIIでは勝利し、三冠目の秋華賞に臨んだ。一番人気はオークス馬タウンキャスターに譲ったものの、一着は譲らず、チェッカーヒメは二冠馬となった。なお、タウンキャスターは4着に敗れている。

二冠馬となったチェッカーヒメは、次走を阪神カップGIIとしたが、ここは3着に敗れた。ターフでのこれ以上の栄誉よりも、繁殖牝馬としての栄誉を優先させた陣営は、これを最後にチェッカーヒメを引退させ、多くのファンを悲しませた。そのファンたちの声を代弁するように、チェッカーヒメは最優秀3歳牝馬に選ばれ、さらに殿堂入りも果たした。羅馬オーナーにとっては3頭目の殿堂馬であった。


・チェッカービゼン

牡馬のクラシック戦線を任された最優秀2歳牡馬チェッカービゼンは、同期たちと同じく、1990年緒戦で初めの敗北を喫した。この共通点として、大島騎手が1990年に陥っていたスランプをあげる者もいる。いずれにせよ、きさらぎ賞GIIIを2着に敗れたチェッカービゼンであったが、次走の弥生賞GIIを勝ち、本番の皐月賞GIでも一番人気に応えて戴冠した。

だが、残念ながらダービーでは、弥生賞と皐月賞で負かしていたメジロライアンとメジロマックイーンという二頭の「メジロ」に敗れての3着であった。

秋初戦となったセントライト記念GIIでは最後の直線の激しい甥比べを制してメジロライアンにクビ差で雪辱したが、三冠目の菊花賞GIではレコード勝ちしたメジロマックイーンの5着に敗れた。

1990年最終戦となったジャパンカップGIでは、オグリキャップの異次元の走りの前に敗北を喫し、3着に惜敗した。


・チェッカーメガミ

自己条件の勝利で1990年を始めたチェッカーメガミは、1勝クラスからリステッド競争2つを連勝し、京都新聞杯GIIでは強い勝ち方で重賞初勝利を飾った。だが、次走の小倉記念GIIIでは17着という大敗を喫し、渡仏して挑んだノネット賞GIIも7着に敗れた。

帰国後、リステッド競争のアンドロメダステークスに臨んだチェッカーメガミであったが、ここでは12番人気の伏兵テンマフェスタに差されての2着に終わった。


・チェッカーアムール

ダートの殿堂馬チェッカースキーとチェッカーグルメの子であるチェッカーアムールは、大いなる期待をもって育てられたが、その実力は想像をはるかに下回った。新馬戦で負けたチェッカーアムールは、未勝利を脱するのにさらに4戦を要し、1勝クラスでは2着、3着、2着、3着、8着と惜敗を強いられた。


・チェッカーイサベル

マラケートとチェッカーレジーナの子チェッカーイサベルは、新馬戦を勝った後に、つばき賞で6着に敗れ、アザレア賞で2勝目をあげた。その後、4着、4着、3着、2着と惜しい競馬を繰り返したチェッカーイサベルは、11月の神奈川新聞杯で3勝目をあげ、勢いそのままで竹田城ステークスにも勝ち、デビューした年の内にオープン馬となった。


・チェッカーホープ

タケホープとプルトニアの子チェッカーホープは、デビュー戦で5着に敗れると、2着を3回繰り返した後に1勝した。しかし、その後は1勝クラスで11着、11着、7着、7着と敗れ、デビューした年に引退した。


・チェッカーナツメグ

最優秀ダート馬チェッカースキーと彼女の前の最優秀ダート馬でありライヴァルのナツメグポケットの子であるチェッカーナツメグは、デビュー戦でこそ勝利したが、その着差は2馬身と圧倒的ではなかった。早速、期待された姉チェッカーアムールと同様に、チェッカーナツメグへの期待は裏切られたと陣営は感じた。

その失望を裏付けるかのように2戦目のもちの木賞でチェッカーナツメグは4着に敗れ、3戦目で2勝目を挙げるもその着差は鼻差であった。


・チェッカーヘルメス

アーテイアスとプルトニアの子であるチェッカーヘルメスは、1勝しかできなかった姉チェッカーホープで母プルトニアの老化を心配する声を打ち消すように、新馬戦で7馬身差の圧勝を決めた。しかし、2戦目の黄菊賞は9着、エリカ賞は3着に敗れた。


・チェッカースイサン

チェッカーグルメとチェッカーワタツミの子チェッカースイサンは、雨の中の新馬戦で8馬身差の圧勝を決め、2戦目の野路菊ステークスでも4馬身差をつけての快勝であった。そして3戦目のアルテミスステークスGIIIを勝って重賞勝ち馬となったチェッカースイサンであったが、期待を集めた阪神ジュベナイルフィリーズGIではテンマアプスの2着に敗れた。


・チェッカーアロー

アローエクスプレスとチェッカープルトンの間の子であるチェッカーアローは、5馬身差で新馬戦を圧勝した。


羅馬オーナーの主戦であった大島騎手は、頭数の増えた羅馬の馬全てにまたがることができず、羅馬オーナーは別の騎手を積極的に起用するようになった。中でも短期免許で来日している英国人ラオンダは羅馬オーナーにとって心強い“助っ人外人”となった。

一方、大島騎手は上半期にスランプに陥ったが、それでも複数の重傷を取って最多勝金獲得騎手となった。また、滝野川調教師は最多勝利、最多勝金で優秀技術調教師に選ばれた。なお、年度代表馬は満票でオグリキャップが選ばれた。

この年、羅馬オーナーにとって思い出深い馬であるロマニウスが種牡馬を引退した。


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