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羅馬 羅馬男の馬主人生 1989年

  • 3月25日
  • 読了時間: 8分

更新日:5 日前

・チェッカーゲオルク

オープン戦では好走するが重賞では勝ちきれないチェッカーゲオルクは、その走りを1989年も続けた。根岸ステークスGIIIでは5着に入ったチェッカーゲオルクは、仁川ステークスで2着した後、オープン戦を2勝した後、リステッド競争を2着、白山大賞典JpnIIIで4着で終えた。その後、リステッド競争のブラジルカップを勝ったチェッカーゲオルクは、カノープスステークスで4着に敗れ、師走ステークスを優勝して現役を引退した。


・チェッカーユキドケ

重傷を勝てなかった同期のチェッカーゲオルクとは異なり、既にGIIIを2勝しているチェッカーユキドケは、1989年の緒戦をアメリカで迎えた。メガヘルツステークスGIIIを勝って初の外国タイトルを手にしたチェッカーユキドケは、フェアグラウンズステークスGIIIは5着に敗れて帰国した。

米国で実力を示したチェッカーユキドケは、帰国後、中山牝馬ステークスGIII、阪神牝馬ステークスGIIを連勝した後、英国へ向かった。日本でGIIのタイトルをとったチェッカーユキドケであったが、英国のミドルトンステークスGIIでは8着に沈み、二つ目の外国タイトル奪取とはならなかった。

帰国後、函館記念GIIIを勝ったチェッカーユキドケは、再び渡米。ユナイテッドネーションズステークスGIIに挑戦したが、ここも3着に惜敗した。

日本に帰ってきたチェッカーユキドケは、3度の海外遠征の疲れがたまっていたのか、京王杯オータムハンデGIIIでは6着に敗れたが、アイルランドトロフィーGIIとターコイズステークスGIIIを連勝し、1989年の間に米国GIIIを含む重賞6勝を果たした。


・チェッカーフルール

東村を鞍上にオープン馬となったチェッカーフルールは、1989年緒戦を地方交流重賞の佐賀記念JpnIIIで始めるも、ここは9着に敗れた。そしてその後、東村は個人的な理由(その理由は明かされていない)からチェッカーフルールへの騎乗を拒否し、彼女は不幸な運命を辿ることとなる。

滝野川厩舎の角に留め置かれたチェッカーフルールは、出走することができず、2月1週の佐賀記念の次に走ったのは12月の最終週に行われるポルックスステークスであった。最後まで東村は騎乗を拒否し、乗り替わった井上騎手によって2着に入ったチェッカーフルールは、オープンクラスでも戦える実力を示したが、以上のような経緯から今後の出走は困難であると判断され、引退を余儀なくされた。引退後は繁殖牝馬として繋養された。


・チェッカーアトラス

実力はありながらも重賞では強力なライバルの後塵を拝してきたチェッカーアトラスは、年始の中山金杯GIIIを勝って、3つ目のGIIIタイトルを手に入れた。そして3月の中山記念GIIも勝ってGII馬となったチェッカーアトラスは、GI大阪杯へ向かった。

この大阪杯では、中山金杯と中山記念を勝って参戦する中山巧者チェッカーアトラスと、京都金杯と京都記念を勝って挑戦する京都巧者ミスターシクレノンが激突することとなった。一番人気は後者のミスターシクレノンに譲ったものの、終わってみればチェッカーアトラスが6馬身差つけての大勝。ミスターシクレノンは3着に敗れた。こうしてチェッカーアトラスは、GIのタイトルを手にしてその実力を示した。

連勝の勢いを駆ったチェッカーアトラスは、続いて春のグランプリ宝塚記念GIに挑んだが、ここでは武豊騎乗のイナリワンの3着に敗れた。なお、ミスターシクレノンは4着であった。

夏、海外GIタイトルを狙ったチェッカーアトラスは、ベルリン大賞GIに挑戦したが、ここは14着に惨敗した。帰国後、秋の天皇賞GIに向かったが、ここは「平成三強」と呼ばれるオグリキャップ、スーパークリーク、イナリワンの3頭の力が抜けており、5着が精いっぱいであった。

「平成三強」を避けたチェッカーアトラスは、1989年の最終戦の舞台を中日新聞杯GIIIとした。そして格下挑戦の中日新聞杯GIIIを快勝したチェッカーアトラスは、翌年にさらなるGIタイトル奪取を夢見て1989年を終えた。


・チェッカークロイツ

オークスと秋華賞の2冠馬チェッカークロイツは、1989年緒戦の日経新春杯GIIを快勝した後、金鯱賞GIIも勝利。その勢いのままヴィクトリアマイルGIに挑んだが、ここはダイナロータスの2着に敗れた。

格下の府中牝馬ステークスGIIIで9馬身差の圧勝を収めて態勢を整えたチェッカークロイツは、フランスのGIIモーリスドニュイユ賞にチャレンジしたが、ここは12着に惨敗した。

帰国後、オールカマーGIIでオグリキャップの3着に入ったチェッカークロイツは、富士ステークスGIIを勝ち、11月のエリザベス女王杯GIも勝利して3つ目のGIタイトルを手にした。そして、4つ目のGIタイトルを狙って挑んだジャパンカップGIでは「平成三強」に敗れて4着に終わった。


・チェッカーゼアミ

羅馬オーナーがこれまで所有した2歳馬の中で最良の成績を収めていたチェッカーゼアミは、期待を一身に背負って若駒ステークスに挑んだが3着に敗れた。クラシックの前哨戦である弥生賞GIIでも5着に敗れたチェッカーゼアミは、クラシックには挑まないこととなった。

その後、5月のプリンシパルステークスを勝ったチェッカーゼアミであったが、主戦の大島騎手との予定が合わず、これが年内最後の出走となった。


・チェッカーパブ

惜しい競馬で勝ち上がれなかったチェッカーパブは、1989年緒戦も2着に敗れたが、2戦目で初勝利を挙げた。

1勝クラスに昇級後も、3着、3着と惜敗を2度した後に、矢車賞で勝ち上がった。この時下したサンドピアリスは後にオープン馬となる実力馬であり、オオトリレヴンは父チェッカーグルメ、母チェッカーオテンバという羅馬牧場の生産馬であった。

いずれにせよ、2勝クラスも2敗後に勝ち上がったチェッカーパブであったが、3勝クラスの昇級緒戦は10着に敗れ、その後も6着と掲示板を外してしまった。


・チェッカーニシキ

ビゼンニシキとチェッカーレジーナの間の子チェッカーニシキは、新馬戦を勝った後に挑んだつばき賞は7着に敗れたが、続くアザレア賞で勝利した。実力十分と判断されたチェッカーニシキは、ゼアミに代わってクラシックに挑戦することとなった。

前哨戦の青葉賞GIIを勝ったチェッカーニシキは、夢のダービーの舞台に立ったが、ここはウィナーズサークルの5着に敗れた。クラシックの壁を感じ、夏を英国で過ごしたチェッカーニシキは、ゴードンステークスGIIIで11着に敗れた。

帰国後、秋初戦を神戸新聞杯GIIの2着で始めたチェッカーニシキは、アルゼンチン共和国杯GIIも2着、鳴尾記念GIIIでも3着に惜敗した。


・チェッカータベルナ

チェッカーグルメとロマーナの間の子、チェッカータベルナは、母の手綱をとった滝野川を調教師に、父の手綱をとった大島を鞍上にデビュー戦を迎え、これを快勝した。

2戦目のエルフィンステークスも勝ったチェッカータベルナは、初の重賞挑戦となったフラワーカップGIIIは3着に敗れ、桜花賞GIでも7着に沈んだ。

自己条件に戻った岸和田ステークスを勝って態勢を立て直したチェッカータベルナは、クイーンステークスGIIIでは5着に敗れたが、ローズステークスGIIに勝って重賞勝ち馬の仲間入りを果たした。そして秋華賞GIでシャダイカグラを下したチェッカータベルナは、GIタイトルを手に入れた。


・ロザムンデ

羅馬牧場に新たな血を入れるために購入したロザムンデは、父タクラマカン、母メディーヴァルクイーンという血統。新馬戦を4着で終えた彼女は、2戦目で3着、3戦目で1着入線を果たした。しかし、昇級後は、4着、9着、17着、10着、7着、5着と敗北を繰り返した。年内引退も検討されが、12月の最終週に勝利し、もう一年の現役続行が決められた。


・チェッカーアルマダ

1987年生まれ馬たちは、羅馬牧場の史上最高の傑作と謳われた。その一頭であるチェッカーアルマダは、父フィリップオブスペイン、母チェッカーワタツミという血統。

新馬戦を快勝したチェッカーアルマダは、2戦目のききょうステークスでも勝ち、3戦目のファンタジーステークスGIIIも勝利。阪神ジュベナイルフィリーズGIも勝って、羅馬オーナーに初めての2歳GIタイトルを贈った。「無敵艦隊」を意味する名の通り、チェッカーアルマダは1989年を無敗で終えた。


・チェッカーヒメ

「羅馬牧場の当たり年1987年」の一頭であるチェッカーヒメは、父サンプリンス、母チェッカーハゴロモという血統。

デビュー戦を5馬身差で圧勝したチェッカーヒメは、2戦目のりんどう賞も勝ち、デイリー杯2歳ステークスGIIで3連勝。そして朝日杯フューチュリティステークスGIも勝って、無敗でGI馬となった。

前週の阪神ジュベナイルフィリーズに続く2週連続のGI勝ちであり、1990年のクラシックは羅馬オーナーに独占されると思われた。そのジュヴェナイルフィリーズ勝ち馬チェッカーアルマダと最優秀2歳牝馬の座を巡り争ったチェッカーヒメは、GIとGIII勝ちのチェッカーアルマダに対してGIとGIIを勝っていることが評価され、世代最強牝馬の栄誉を手にした。


・チェッカービゼン

「羅馬牧場の当たり年1987年」の一頭であるチェッカービゼンは、父ビゼンニシキ、母ロマーナという血統。

新馬戦を快勝したチェッカービゼンは、2戦目の黄菊賞も勝ち、ホープフルステークスGIでも勝利。羅馬オーナーは2歳GIを完全制覇した。なお、朝日杯フューチュリティステークスの2着馬タウンキャスターの父はチェッカーグルメであり、羅馬牧場とゆかりのある馬であった。この2馬はライバルとして激しい戦いを繰り広げることとなる。

チェッカーヒメとチェッカーアルマダが牝馬戦線を狙う中、チェッカービゼンは牡馬戦線の責任を担うこととなった。その重責は、彼が最優秀2歳牡馬に選ばれていることからも分かる。


・チェッカーメガミ

「羅馬牧場の当たり年1987年」の中ではやや影の薄いチェッカーメガミだが、父ロマニウス、母チェッカープルトンの彼女もデビュー戦を5馬身差で圧勝している。しかし、2戦目の京都2歳ステークスGIIIでは6着、ひいらぎ賞も2着に敗れている。


「羅馬牧場の当たり年1987年」が続々とデビューし、チェッカーアトラスが大阪杯を勝ち、チェッカークロイツがエリザベス女王杯を、チェッカータベルナが秋華賞を勝ったことにより、羅馬オーナーは1989年にGIタイトルを6つも手中に収めた。

このことも影響し、羅馬オーナーの主戦を務める大島騎手は48億円の最多勝金騎手にして0.263の最多勝率騎手に選ばれた。また、滝野川調教師に至っては三部門をすべて制して最優秀技術調教師に選ばれた。

1989年は羅馬オーナーにとって最も成功した年となったといえよう。



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