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羅馬 羅馬男の馬主人生 1984年
・チェッカーグルメ 日本では敵なしのダートホースであるチェッカーグルメは、昨年に引き続き海外遠征を繰り返した。3月のサンタアニタハンデGIでは9着に敗れたものの、前年と同様にドバイワールドカップに招待された。 2歳年下のダート二冠馬チェッカースキーと初の対決となったドバイワールドカップGIでは、両馬とも世界の厚い壁に跳ね返され、チェッカーグルメは9着に敗れた。 外国馬との力量の差を痛感したチェッカーグルメは、帰国後、名古屋グランプリJpnIIで態勢を立て直そうとした。ここで勝利して得た、2年連続で最優秀ダートホースに選ばれたナツメグポケットを破っての1着は、チェッカーグルメにとって最後の勲章となった。というのも、次走の浦和記念JpnIIでは格下相手の3着に敗れ、老いが感じられたからである。 帝王賞を勝利したチェッカーグルメに恥ずかしい競馬はさせられないと考えた陣営は、チェッカーグルメの引退戦をJRAに二つしかないダートGIの一つ、チャンピオンズカップとした。ここには羅馬オーナー所有馬の次世代を担うチェッカースキーも参戦していた。...


羅馬 羅馬男の馬主人生 1983年
・チェッカーグルメ 羅馬オーナーの所有する名ダート馬チェッカーグルメは、デビュー戦を芝で勝利した。チェッカーグルメはこれまでダートを主戦場としてきたが、芝の適正もあったのである。このことから陣営は、チェッカーグルメの1983年緒戦を芝のAJCCとした。そして、チェッカーグルメは、2年連続で年度代表馬に選ばれるアンバーシャダイの2着と健闘したのである。AJCCで自信をつけた陣営は、チェッカーグルメの戦場をダートに戻し、3月にダイオライト記念JpnIIで同馬にとって7つ目の重賞を獲得した。 そして、日本最強のダート馬の一頭となったチェッカーグルメに、なんと、ドバイから招待状が届いた。世界最強のダート馬を決めるドバイワールドカップへの参戦を発表した陣営は、日の丸を背負ってドバイへ遠征した。 羅馬オーナーにとって初の海外挑戦となったドバイワールドカップGIは12頭中の7着という結果に終わったが、チェッカーグルメはより一層成長して帰国した。 帰国後、地方競馬で最も栄誉ある賞の一つである帝王賞JpnIを勝利したチェッカーグルメには、国内で既に敵はいなかった。


羅馬 羅馬男の馬主人生 1982年
・チェッカーボット 11月の三陸特別をレコード勝ちしたチェッカーボットは、年明けの昇級緒戦である寿ステークスも2着に連対し、クラスで実用する力を示した。その後、次走の八坂ステークスこそ11着と崩れたものの、2着、3着と惜しい競馬を続け、6月の岸和田ステークスで3勝クラスも勝ち上がった。 オープン緒戦の丹頂ステークスは5着と掲示板入りを果たしたが、その後は8着、17着と着順を落とし、クラスの壁を感じさせた。オープン入りまで頑張ったチェッカーボットに報いるため、陣営は引退を決意し、繁殖牝馬としての第二の馬生を始めさせた。 ・チェッカーグルメ 前年、ダートで実力を示したチェッカーグルメは、1982年もダート戦線を駆け巡ることとなった。 2月の佐賀記念JpnIIIを快勝したチェッカーグルメは、翌月のダイオライト記念JpnIIでも勝利し、4月の川崎記念JpnIも勝って、重賞4連勝を飾った。 JpnI馬の仲間入りを果たしたチェッカーグルメは、5月の名古屋グランプリJpnIと6月の帝王商JpnIこそ2着に敗れたが、放牧空けのJBCクラシックJpnIでは強豪ナツ
