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羅馬 羅馬男の馬主人生 1991年
・チェッカーアトラス 羅馬オーナーの所有馬の中で最年長のチェッカーアトラスは、大阪杯の勝ち馬としての貫禄を見せつけるかのように、1991年は一度も掲示板を外すことがなかった。 緒戦の金鯱賞GIIと続く目黒記念GIIを連勝した後、札幌記念GIIではサクラホクトオーの3着に惜敗した。そして京都大賞典GIIはメジロマックイーンとの激しい叩き合いにおいて、末脚があと一歩のところで届かず、2着に惜敗。 チェッカービゼンと共に出走したジャパンカップGIでは、大島に代わって白井を鞍上とし、ゴールデンフェザントの3着と健闘した。なお、この時メジロマックイーンは4着に敗れ、チェッカーアトラスはライバルに先着したこととなる。 一年の総決算である有馬記念GIではライバルのメジロマックイーンとまたもや激しい戦いを展開し、2着に惜敗した。なお、掲示板は全て冠名チェッカーとメジロで占められた。 ・チェッカーニシキ 青葉賞GII以降、精彩を欠く走りを続けていたチェッカーニシキは、競走生活を継続させる予定であったが、体調は上向かず、種牡馬となった。 ・チェッカータベルナ...


羅馬 羅馬男の馬主人生 1990年
・チェッカーユキドケ 前年にGIIと海外GIIIを含む重賞6勝を挙げたチェッカーユキドケは、1990年緒戦とした中山記念で、一番人気を背負いながらもまさかの12着という惨敗を喫した。だが、再び一番人気に推された次走マイラーズカップGIIでは人気に応えた。 GIIを快勝したチェッカーユキドケは、5月、最高の栄誉を手にするためGIヴィクトリアマイルに出走した。GIの大舞台で一番人気に推されたチェッカーユキドケは、重圧に負けずにも自分の走りをし、ついにGIタイトルを手にした。 GI馬の仲間入りしたチェッカーユキドケは、マイルGIである安田記念を次走としたが、ここではオグリキャップがレコード勝ちを決めた。 安田記念で4着に敗れたチェッカーユキドケは、約一年ぶりに渡米してグレンズフォールズステークスGIIに挑んだが、ここも2着に惜敗し、2年連続の海外重賞戴冠はならなかった。 帰国後にアイルランドトロフィーGIIに参戦したチェッカーユキドケは、不在の大島騎手に代わり東村騎手が騎乗し、2着に惜敗した。羅馬オーナーの主戦である大島騎手の負担軽減を試みた起用であっ


羅馬 羅馬男の馬主人生 1989年
・チェッカーゲオルク オープン戦では好走するが重賞では勝ちきれないチェッカーゲオルクは、その走りを1989年も続けた。根岸ステークスGIIIでは5着に入ったチェッカーゲオルクは、仁川ステークスで2着した後、オープン戦を2勝した後、リステッド競争を2着、白山大賞典JpnIIIで4着で終えた。その後、リステッド競争のブラジルカップを勝ったチェッカーゲオルクは、カノープスステークスで4着に敗れ、師走ステークスを優勝して現役を引退した。 ・チェッカーユキドケ 重傷を勝てなかった同期のチェッカーゲオルクとは異なり、既にGIIIを2勝しているチェッカーユキドケは、1989年の緒戦をアメリカで迎えた。メガヘルツステークスGIIIを勝って初の外国タイトルを手にしたチェッカーユキドケは、フェアグラウンズステークスGIIIは5着に敗れて帰国した。 米国で実力を示したチェッカーユキドケは、帰国後、中山牝馬ステークスGIII、阪神牝馬ステークスGIIを連勝した後、英国へ向かった。日本でGIIのタイトルをとったチェッカーユキドケであったが、英国のミドルトンステークスGII
