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羅馬 羅馬男の馬主人生 1991年

  • 4月13日
  • 読了時間: 8分

・チェッカーアトラス

羅馬オーナーの所有馬の中で最年長のチェッカーアトラスは、大阪杯の勝ち馬としての貫禄を見せつけるかのように、1991年は一度も掲示板を外すことがなかった。

緒戦の金鯱賞GIIと続く目黒記念GIIを連勝した後、札幌記念GIIではサクラホクトオーの3着に惜敗した。そして京都大賞典GIIはメジロマックイーンとの激しい叩き合いにおいて、末脚があと一歩のところで届かず、2着に惜敗。

チェッカービゼンと共に出走したジャパンカップGIでは、大島に代わって白井を鞍上とし、ゴールデンフェザントの3着と健闘した。なお、この時メジロマックイーンは4着に敗れ、チェッカーアトラスはライバルに先着したこととなる。

一年の総決算である有馬記念GIではライバルのメジロマックイーンとまたもや激しい戦いを展開し、2着に惜敗した。なお、掲示板は全て冠名チェッカーとメジロで占められた。


・チェッカーニシキ

青葉賞GII以降、精彩を欠く走りを続けていたチェッカーニシキは、競走生活を継続させる予定であったが、体調は上向かず、種牡馬となった。


・チェッカータベルナ

2年前の秋華賞馬チェッカータベルナは、一歳年上のチェッカーアトラスと共に、1991年は掲示板を外すことのない安定した走りを見せた。

緒戦の中山金杯GIIIから中山記念GII、エプソムカップGIIIと重賞を連勝し、七夕賞GIIIの2着を挟んで、再び新潟記念GIII、アイルランドトロフィーGIIを連勝し、その勢いのままエリザベス女王杯を勝ち、二つ目のGIタイトルを手にした。しかも、アイルランドトロフィーでは2着に7馬身差をつけてのレコード勝ち。エリザベス女王杯でもGIの舞台で同様に7馬身差のレコード勝ちという圧倒的な力の違いを見せつけた。なお、このエリザベス女王杯では古馬が掲示板を独占し、この年の二冠馬テンマアプスは6着に沈んだ。

議論の余地のない名牝としての威信を獲得したチェッカータベルナは、大島騎手と共に有馬記念GIに挑むが、ここで主役となったのは、白井騎手を鞍上としたチェッカーアトラスとメジロマックイーンであった。それでもチェッカータベルナは、5着と健闘した。


・チェッカービゼン

前年の皐月賞馬チェッカービゼンは、メジロライアンやメジロマックイーン、オグリキャップといった名馬たちを前に苦戦を強いられていた。だが、これらの名馬がいない戦場では、チェッカービゼンの力は上位であった。

1991年緒戦のアメリカジョッキークラブカップGIIを勝ったチェッカービゼンであったが、続く大阪杯GIでは2着、宝塚記念GIでもメジロマックイーンの3着とGIの舞台では惜しい競馬を強いられた。オールカマーGIIはレコード勝ちするも、天皇賞秋GIではまたもやメジロマックイーンの4着。

チェッカーアトラスと共に出走したジャパンカップGIでは、大島がチェッカービゼンを選択したが、外国馬ゴールデンフェザントには届かず2着に惜敗している。なお、白井を鞍上としたチェッカーアトラスは3着であり、メジロマックイーンは4着であった。

外人ジョッキーのピスレノーゼを迎えて挑んだ年末の有馬記念GIでは、メジロマックイーンとチェッカーアトラスに先着を許しての3着であった。


・チェッカーメガミ

外国人騎手ラオンダを鞍上に挑んだ1991年緒戦の京都金杯GIIIにおける3着で新年を始めたチェッカーメガミもまた、この年の掲示板を外さない安定した馬であった。

東村を鞍上とした洛陽ステークスで勝利したチェッカーメガミは、その後、大島に手戻るも、重賞で3着、2着、3着と惜しい競馬を繰り返したが、9月のチャレンジカップGIIIで勝利し、二つ目の重賞タイトルを手に入れた。


・チェッカーアムール

1991年緒戦で勝利して2勝クラスとなったチェッカーアムールは、昇級後も5着、2着、2着と掲示板を外さず、4戦目で3勝目を飾った。そして勢いそのままで挑んだハロウィンステークスでも勝ち、オープン馬となった。

昇級緒戦のベテルギウスステークスでも4着に入ったチェッカーアムールは、オープンクラスでも戦える力を示した。


・チェッカーイサベル

デビューした年の間にオープン馬となったチェッカーイサベルは、1991年緒戦の舞台をクイーン賞JpnIIIとしたが、6着に敗れ、重賞の壁の厚さを痛感した。

重賞からオープン戦へ戦場を移したチェッカーイサベルはそこで、3着、2着、2着、2着と惜敗を繰り返した後、名鉄杯、ブラジルカップ、師走ステークスを三連勝した。


・チェッカーナツメグ

良血のチェッカーナツメグは、1991年のダート戦線の中心と見なされたが、ヒヤシンスステークスで5着、伏流ステークスで6着と苦戦したため、自己条件に戻された。

津軽海峡特別と瀬戸ステークスを快勝してオープン馬となったチェッカーナツメグは、カノープスステークスで2着に連対し、オープンクラスでも戦える力を示した。


・チェッカーヘルメス

1991年緒戦を勝利したチェッカーヘルメスは、すみれステークスでも勝ち、プリンシパルステークス3着、巴賞3着と実力を示したが、騎手の予定や除外などの不運が重なり、年内に再度出走することはなかった。


・チェッカースイサン

阪神ジュベナイルフィリーズGIで同厩舎のテンマアプスに敗れたチェッカースイサンは、1991年、フェアリーステークスGIIIと弥生賞GIIを連勝して牝馬クラシック戦線に名乗りを上げた。

だが、桜花賞GIとオークスGIではライバルのテンマアプスに敗れての2着。両レースはチェッカースイサンとテンマアプスの一騎打ちであり、特にオークスでは3着に6馬身もの差をつけていた。

悔しさを胸に挑んだドイツオークスGIでは4着と健闘し、帰国後のローズステークスGIIでは初めてテンマアプスに勝利した。そして三冠目の秋華賞GIでは、二番人気ながら、一番人気の二冠馬テンマアプスに再度勝ってGIタイトルを手にした。なお、秋華賞は1着から3着までが全て滝野川厩舎により占められた。「牝馬の滝野川」と言われるゆえんである。

その後、渡米したチェッカースイサンは、ミセスリヴィアステークスGIIに勝って初の海外タイトルも手にして1991年を終えた。


・チェッカーアロー

新馬勝ちをしたチェッカーアローは、1991年緒戦のシンザン記念GIIIで9着後、一勝クラスでも8着、4着と苦戦したが、矢車賞で2勝目をあげた。

だが、2勝クラスでも6着、8着、7着、3着と苦戦したが、11月には勝ち上がり、そこからは一気に2連勝し、オープン入りを果たした。


・チェッカーハワイ

ハワイアンイメージとロマーナの子チェッカーハワイは、小倉の新馬戦で8馬身差の圧勝をした。その後、あすなろ賞、毎日杯GIIIと快進撃を続けたチェッカーハワイであったが、本番のクラシック初戦である皐月賞GIではトウカイテイオーの6着。ラジオNIKKEI賞GIIIでも6着に敗れた。

この敗北を受け、鞍上の大島はダート替わりを提案した。その大島の恩をあだで返すように、東村を新たな鞍上としたチェッカーハワイは、新たな戦場で秘められていた真価を発揮した。ダート初戦となったレパードステークスGIIIを快勝したチェッカーハワイは、ジャパンダートクラシックJpnIでは7着に敗退するも、年内最後の福島民友カップでは後続に9馬身差をつけてのレコード勝ちをしてみせた。


・チェッカーカイザー

シンボリルドルフとチェッカーレジーナの子チェッカーカイザーは、フジヤマケンザンやネーハイビクトリーの出走した新馬戦で3着に敗れ、期待を裏切った。その後も2着を二回繰り返したチェッカーカイザーであったが、ブリンカーを外した4戦目で初勝利を飾った。

昇級緒戦では4着に敗れたチェッカーカイザーであったが、2戦目の御在所特別で2勝目をあげ、勢いそのままで九十九里特別も勝利して3勝クラスに昇格した。

だが、3勝クラスでは5着、9着と苦戦を強いられた。


・チェッカーデルニー

ジムフレンチとチェッカーゲンツキの子チェッカーデルニーは、新馬戦を7馬身差で快勝した。昇級初戦で2着、2戦目でもチャミン産駒のダノンリブとの叩き合いに敗北しての2着と惜敗するも3戦目で2勝目をあげた。

その後、鳳雛ステークス2ちゃくを挟んだ後、条件戦を連勝したチェッカーデルニーはデビューした年の間にオープン馬となった。

重賞初挑戦となったマリーンカップJpnIIIでは2着に惜敗した後、大阪スポーツ杯でも3着に入り、オープンクラスでも勝ち負けできる実力を示した。


・チェッカーリボン

チェッカーオジョウとウィンザーノットの子チェッカーリボンは、デビュー戦と2戦目こそ3着に敗れたが、3走目で嬉しい初勝利を飾った。

だが、その後は10着、8着、4着、3着、3着とクラス慣れはしつつも、なかなか勝てない日々を過ごした。


・ロマノアイゼン

一口馬主の会チェッカーズの開設により、冠名チェッカーはチェッカーズのものとなり、羅馬オーナーは新たに冠名としてロマノを使用するようになった。「羅馬の」と'Romano'のダブルミーニングである。

そのロマノ第一号であるロマノアイゼンは、チェッカースキーとテツノカチドキというダート名馬の血統であった。そして新馬戦を5馬身差で圧勝し、オーナーに新たな希望を持たせたものの、2戦目では2着に惜敗している。


・ロマノカイゼリン

ロマーナとシンボリルドルフの娘ロマノカイゼリンは、新馬戦を勝ち、将来を期待された。


1991年、前年から創設に向け話が進んでいた一口馬主の会チェッカーズが本格的に指導した。また、1991年は再び滝乃川が優秀技術調教師に輝いた年でもあった。



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