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羅馬 羅馬男の馬主人生 1983年

  • 2月6日
  • 読了時間: 6分

更新日:2月13日

・チェッカーグルメ

羅馬オーナーの所有する名ダート馬チェッカーグルメは、デビュー戦を芝で勝利した。チェッカーグルメはこれまでダートを主戦場としてきたが、芝の適正もあったのである。このことから陣営は、チェッカーグルメの1983年緒戦を芝のAJCCとした。そして、チェッカーグルメは、2年連続で年度代表馬に選ばれるアンバーシャダイの2着と健闘したのである。AJCCで自信をつけた陣営は、チェッカーグルメの戦場をダートに戻し、3月にダイオライト記念JpnIIで同馬にとって7つ目の重賞を獲得した。

そして、日本最強のダート馬の一頭となったチェッカーグルメに、なんと、ドバイから招待状が届いた。世界最強のダート馬を決めるドバイワールドカップへの参戦を発表した陣営は、日の丸を背負ってドバイへ遠征した。羅馬オーナーにとって初の海外挑戦となったドバイワールドカップGIは12頭中の7着という結果に終わったが、チェッカーグルメはより一層成長して帰国した。

帰国後、地方競馬で最も栄誉ある賞の一つである帝王賞JpnIを勝利したチェッカーグルメには、国内で既に敵はいなかった。そこで自根には再びの海外挑戦を決意する。9月に米国へ渡ったチェッカーグルメは、パシフィッククラシックGIで3着と健闘し、11月に行われる世界最高峰のダート重賞ブリーダーズカップクラシックGIまでアメリカに滞在することとなった。しかし、慣れない環境での長期滞在と度重なる海外挑戦で疲労の溜まっていたチェッカーグルメは、実力を発揮できず、本番では殿負けを喫した。羅馬オーナーは、無事に帰ってきた愛馬をねぎらうため、チェッカーグルメを放牧に出して1983年シーズンを終わらせた。


・チェッカーレジーナ

昨年までは重賞に手が届かなかったチェッカーレジーナであったが、1983年の緒戦である小倉牝馬ステークスGIIIで勝利を飾った。重賞勝ち馬の仲間入りを果たしたチェッカーレジーナは、次走の中山牝馬ステークスGIIIでは7着に敗れたが、続く福島牝馬ステークスGIIIを勝って重賞二勝目を果たした。

自信をつけたチェッカーレジーナは、5月にはヴィクトリアマイルGIに挑んだが、ここは4着に惜敗した。以降も重賞挑戦を続けたチェッカーレジーナは、府中牝馬ステークスGIII2着、クイーンステークスGIII3着、新潟記念GIII5着と惜しい競馬を繰り返した後に、アイルランドトロフィーGIIに勝利して、重賞三勝目の栄誉を受けた。

11月、母ロマーナの勝ったエリザベス女王杯に臨んだチェッカーレジーナであったが、ここはダイナカールの6着に敗れ、GIタイトルを取ることはできなかった。その後、鳴尾記念GIII6着を最後にターフを去ったチェッカーレジーナは、偉大な母と同じ繁殖牝馬となった。


・チェッカーロマン

前年はクラシック戦線を戦ってきたチェッカーロマンは、京都金杯GIIIで1983年を始めた。4着に敗れたチェッカーロマンは、以降、果敢に重賞に挑み続けるが、あと一歩届かない惜しい競馬を繰り返す。小倉大賞典GIII3着の後、オープン戦の大阪―ハンブルクカップを勝ち、都大路ステークス5着、チャレンジカップGIII5着、オクトーバーステークス3着、アンドロメダステークス2着と大崩れしない堅実な走りを続けた。チェッカーロマンにとって1983年は白星こそ一つであったが、一度も掲示板を外したことはなかった。


・チェッカーオジン

年末に3勝クラスへ上がったチェッカーオジンは、3勝クラスで足踏みを余儀なくされる。4着、10着、2着、10着、9着、7着、11着、9着、5着と3勝クラスで敗北を繰り返すチェッカーオジンは、これ以上走らせても勝つことは難しく、勝ったとしてもオープンクラスでは戦えないと判断され、1983年に引退した。


・チェッカーアラシ

前年の最終戦で2勝クラスへ上がったチェッカーアラシは、チェッカーオジンのように2勝クラスで苦戦を強いられていた。11着、6着、6着、2着、4着、4着と敗北を繰り返したチェッカーアラシであったが、9月には昇級に成功。3勝クラス緒戦ではいきなり2着と連対し、2戦目の晩秋ステークスで勝ち上がりを決めた。

オープン馬となったチェッカーアラシは、ベテルギウスステークスで8着に敗れた。オープンクラスで戦える実力があるのか疑問であったチェッカーアラシには、チェッカーオジンと同じく引退の話も出たが、羅馬オーナーはもう一年使うことを決めた。


・チェッカーオジョウ

チェッカーオジンやチェッカーアラシと同じくチェッカーオジョウも条件戦で苦戦を繰り返した。2着、9着、2着、12着、10着、8着、9着と勝利から遠ざかったチェッカーオジョウは、競走馬としてよりも繁殖馬として活躍してもらうために引退した。


・チェッカースキー

2歳年上のチェッカーグルメはデビューが遅かったこともあり、王道のクラシック路線は歩まなかった。唯一挑んだ東京ダービーも4着に敗れたチェッカーグルメであったが、その後、世界に挑戦するようになったのは周知のとおりである。そんなチェッカーグルメとは異なり、チェッカースキーは羅馬オーナーが初めて自信を持ってクラシックに挑戦させた馬となった。

1983年の緒戦で挑んだブルーバードカップJpnIIIは、初の重賞挑戦でありながら、サンオーイの2着と健闘した。そしてここでの敗北を糧に、チェッカースキーは怒涛の連勝街道を歩み始める。雲取賞JpnIIIと京浜盃JpnIIという羽田盃の二つの前哨戦を勝ったチェッカースキーは、ダート一冠目の羽田盃JpnIを快勝した。羅馬オーナーに初のクラシックタイトルを贈ったチェッカースキーは、勢いそのままで東京ダービーJpnIに挑み、ブルーバードで後塵を拝したサンオーイを破って二冠馬となった。こうして羅馬オーナーは、馬主生活10年でダービーオーナーとなったのである。

三冠目のジャパンダートクラシックまでの間にさらなる経験を積むため、チェッカースキーは休むことなく挑戦を続けた。ダービーの翌月、スパーキングレディーカップJpnIIIを快勝したチェッカースキーは、ブリーダーズゴールドカップJpnIIIも勝利し、本番のジャパンダートクラシックへ向かった。

三冠馬誕生が期待される中開催されたジャパンダートクラシックJpnIであったが、伏兵テツノカチドキに勝利を阻まれて2着に敗れた。羅馬オーナーにとって初のダービー馬は、残念ながら、羅馬オーナーにとって初の三冠馬となることはできなかったのである。

悔しさを糧に挑んだJBCレディスクラシックJpnIに挑んで7つ目の重賞タイトルを手にした。これまで地方交流重賞を主戦場としてきたチェッカースキーは、年末の中央競馬で行われるダート重賞チャンピオンズカップに挑戦したが、ここでは2年連続で最優秀ダート馬となるナツメグポケットに敗れた。


・チェッカーフラワー

チャミンとハナコというダートで活躍した両親から生まれたチェッカーフラワーは、遅い2月のデビュー戦では6着に敗れたが、2戦目の未勝利戦で逃げ切り勝ちを決めた。しかし、その後は勝ち星から遠ざかってしまう。15着、11着、8着、5着、18着、5着と大敗を繰り返したチェッカーフラワーに勝利は難しいと考えた羅馬オーナーは、1年に満たない短い競争生活を終わらせた。


・チェッカーワタツミ

チェッカーオテンバにネプテューヌスをつけて生まれたチェッカーワタツミは、大島騎手を鞍上としたデビュー戦を勝利した。続くエリカ賞では6着に敗れたが、その走りは悪くなかった。


・チェッカープルトン

トランスアトランティックとプルトニアの子チェッカープルトンは、関騎手を鞍上に迎えた新馬戦で勝利した。



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