top of page

羅馬 羅馬男の馬主人生 1993年

  • 4月21日
  • 読了時間: 8分

・チェッカーアトラス

8歳の古豪チェッカーアトラスは、前年はトウカイテイオーという強敵に阻まれ、GIタイトルを重ねることができなかった。そんなチェッカーアトラスが1993年緒戦に選んだのが、中山記念GIIであった。有馬記念以来3か月ぶりとなる重賞の場で、チェッカーアトラスはGI馬としての力を見せつけ、勝利を飾った。

中山記念を叩いて挑んだGI大阪杯。トウカイテイオーこそ不在であったが、もう一頭の強豪メジロマックイーンが出走しており、チェッカーアトラスはまたしても2着に惜敗してしまった。

メジロマックイーンとトウカイテイオーという強豪を避けたチェッカーアトラスは、安田記念GIに向かったが、ここではマイルの強敵ヤマニンゼファーの2着に敗れ、2つ目のGI奪取とはならなかった。

日本にはレヴェルの違うライバルが多くいることを理解した陣営は、オーナーの悲願であるベルリン大賞GIにチェッカーアトラスを出走させるも、ここでも世界の壁を前に4着。チェッカーアトラスにとって3度目となるベルリン大賞であったが、初回の14着、2回目の12着から確実な成長を観て取ることができた。

帰国後に臨んだ毎日王冠GIIでは、レコード勝ちしたヤマニンゼファーの2着。アルゼンチン共和国杯GII勝ちを挟んで、年末の有馬記念GIではレコード勝ちしたトウカイテイオーの4着に敗れた。


・チェッカーイサベル

交流重賞ではなかなか実力を発揮できないチェッカーイサベルは、チェッカーナツメグと共に出走した佐賀記念で6着に敗れて、またしても適正の低さを露呈した。だが、中央では強く、仁川ステークス勝利から挑んだアンタレスステークスGIIIを勝ち、能力の高さを示した。

そして挑んだ盛岡競馬場のマーキュリーカップJpnIIIでチェッカーイサベルは、初の交流重賞勝ちを飾った。その勢いのまま勝ちたかった白山大賞典JpnIIIでは、しかし、2着に惜敗し、中央に戻った後のみやこステークスGIIIでも2着に敗れた。

中央のみならず地方交流重賞も勝ったチェッカーイサベルは、6歳の牝馬という事もあり、繁殖にあげるため年内に引退することとなった。その引退レースとなった名古屋大賞典JpnIIIでは、二つ目の交流重賞タイトルを手にし、有終の美を飾った。


・チェッカーナツメグ

両親ともに最優秀ダート馬という良血ながら、なかなか重賞を勝てていなかったチェッカーナツメグは、前年末にようやくJpnIIIを勝つことができた。そしてそのまま挑んだ佐賀記念JpnIIIでは、共に挑んだチェッカーイサベルも負かして二つ目の重賞タイトルを手にした。

だが、これがチェッカーナツメグにとっての最後の重賞タイトルとなってしまった。ダイオライト記念JpnIIで8着、名古屋グランプリJpnIIでも8着、チェッカーイサベルが勝ったマーキュリーカップJpnIIIでは4着、ロマノアイゼンが勝ったシリウスステークスでは2着、リステッド競争のブラジルカップでも2着と敗北を繰り返したのである。

オープンのカノープスステークスでは勝利したものの、チェッカーイサベルの引退戦となった名古屋大賞典JpnIIIでは10着に大敗したチェッカーナツメグは、これ以上の上積みを期待できないと判断されて引退となった。競走成績こそ交流重賞2勝に留まったが、その血統を評価されて種牡馬となった。


・チェッカーハワイ

1992年の競争を全連対して最優秀ダート馬に選ばれたチェッカーハワイは、1993年も怒涛の進撃を続けてダート界を牽引した。フェブラリーステークスGIを勝って中央ダートGIを姓排した後、川崎記念JpnI、かしわ記念JpnI、帝王賞JpnIとGI級を7連勝、重賞は11連勝という驚異的な成績を残し、国内に敵なしの力を見せつけた。

名実ともに日本を代表するダート馬となったチェッカーハワイは、世界の舞台へ挑戦するため、米国のホイットニーステークスGIに出走したが、ここでは世界の壁に阻まれ、12着に大敗した。そして帰国後に臨んだ日本テレビ盃JpnIIでは格下挑戦であったにもかかわらず、4着に敗れ、米国遠征のために調子を崩したように見えた。続く南部杯JpnIでもツキノイチバンの2着に敗れ、「ハワイはアメリカで終わった」の声が聞こえるようになった。

しかし、その侮辱の声を封じるかのように、チャンピオンズカップGIではツキノイチバンに雪辱を果たして連覇を決めた。だが、年末の東京大賞典GIでは、またもやツキノイチバンに敗れての6着となった。これ以上、みっともない競馬はさせられないと考えた陣営はチェッカーハワイを引退させ、種牡馬とした。GI級8勝のチェッカーハワイは、2年連続で最優秀ダート馬に選ばれ、「ダートキング」として殿堂入りした。


・チェッカーカイザー

オープンクラスで惜しい競馬を続けるチェッカーカイザーは、1993年も前年と同じような競馬を繰り返した。白富士ステークス3着、大阪―ハンブルクカップ3着、メトロポリタンステークス6着、オクトーバーステークス2着と惜敗を続けるチェッカーカイザーは、年末のディセンバーステークスで念願のオープンクラス初勝利を飾った。引退も囁かれていたチェッカーカイザーであったが、この勝利により現役続行が決まり、翌年は重賞制覇が目標として掲げられた。


・チェッカーデルニー

GIII級の強豪となったチェッカーデルニーは、1993年も自己条件で頑張った。クイーン賞JpnIIIの勝利を皮切りに、兵庫女王盃JpnIIIで勝ち、エンプレス杯JpnIIでは初のGII級勝利を飾った。その後、ブリーダーズゴールドカップJpnIII、レディスプレリュードJpnIIも勝ち、重賞を5連勝した。その記録は武蔵野ステークスGIIIでの3着により止められるも、引退戦となった年末の師走ステークスは勝利で終えた。レヴィンの血を残すという重要な仕事のあるチェッカーデルニーは、まだ走れたが、十分な実績を残したと判断され繁殖にあげられたのである。


・ロマノアイゼン

一度も掲示板を外したことのない関東オークス馬ロマノアイゼンは、1993年は全て馬券圏内に入る走りを見せた。

アルデバランステークスで勝利したロマノアイゼンは、南部杯JpnIや東京大賞典GIを勝つことになるツキノイチバンをマーチステークスGIIIで下し、平安ステークスGIIIでも勝利、シリウスステークスGIIIでは半兄チェッカーナツメグを2着に下してレコード勝ちを決めた。次走の浦和記念JpnIIも勝利したロマノアイゼンであったが、年末の東京大賞典では上述の通りツキノイチバンに敗れ、自身は3着に終わった。


・ロマノカイゼリン

前年末にオープン馬となったロマノカイゼリンは、重賞初挑戦となった中山記念GIIIではレッツゴーターキンの7着に敗れた。だが、オープン2戦目の小倉日経賞では勝利し、続く中山牝馬ステークスGIIIでは2着に連対した。

オープンクラスでも勝ち負けできる力を示したロマノアイゼンは、新潟大賞典GIII6着、小倉記念GIII4着を経て挑んだチャレンジカップGIIIで嬉しい重賞初勝利を挙げた。その後、アイルランドトロフィーGIII3着後に、福島記念GIIIで重賞2勝目を飾った。


・ロマノアントニウス

無敗で1992年を終えたロマノアントニウスはクラシックを期待された。京成杯GIIIで勝利したロマノアントニウスであったが、弥生賞GIIでは同世代の強豪3頭ビワハヤヒデ、ナリタタイシン、ウィニングチケット、通称BNWと初めて戦い、力の違いを見せつけられる。

BNWの4着に敗れたロマノアントニウスは、皐月賞GIでもそれらに敗れての6着。ダービーでも同様に5着に終わった。

BNWを避けたロマノアントニウスは、函館記念GIIIに出走するが、ここでも4着。BNWに敗退後は、2歳の時の力が見られなくなっていた。しかし、札幌日経オープンをレコード勝ちしたロマノアントニウスは自身を取り戻し、ビワハヤヒデがレコード勝ちした菊花賞GIでは3着に入り、初めてBNWに割って入ることができた。だが、鳴尾記念GIIIでは4着に敗れ、BNWに傷つけられたプライドはまだ回復していないように見えた。それでも陣営はロマノアントニウスの回復を期待し、現役続行を決めた。


・ロマノソレイユ

全日本2歳優駿JpnIで敗北したロマノソレイユは、雲取賞JpnIIIも3着に敗れ、伏流ステークスでも2着に惜敗した。ダート三冠初戦の羽田盃JpnIも6着に敗れたロマノソレイユは、路線を変更し、半姉ロマノアイゼンが勝利した関東オークスJpnIIに駒を進めた。

半姉に続いて関東オークスを勝利したロマノソレイユは、名鉄杯では4着に敗れたが、マリーンカップJpnIIIでは重賞2勝目を決めた。その後、福島民報カップも勝ったロマノソレイユは、年末のベテルギウスステークスで2着に連対して1993年を終えた。


・ロマノネプチューン

2戦目で勝ち上がったロマノネプチューンは、1勝クラスでは半年以上の足踏みを強いられた。昇級緒戦で15着に敗退したロマノネプチューンは、その後、7着、7着、2着と敗北した後に2勝目をあげた。

2勝目クラスの昇級緒戦も4着だったが、ここでは成長力を見せ、2戦目で3勝目をあげて3勝クラスに昇格した。


・カメーナエ

父ハイセイコー、母ハギノトップレディ、母の母イットーという昭和の名馬の血を継ぐカメーナエは、繁殖牝馬とするためにセールで購入された。それゆえ競走成績はそれほど気遺体されていなかったが、デビュー戦を4着と掲示板に入り、その後、2着、2着、2着と三回連対を続け、5戦目で初勝利を飾った。

1勝クラスでも2回2着に連対したカメーナエは、3戦目で勝ち上がった。3勝クラスでは、緒戦で5着、2戦目で11着と大敗したが、3戦目で3勝目を決めた。


・ロマノグリーン

チェッカープルトンとゲイルーザックの間の子ロマノグリーンは、チェッカータケノコと共に挑んだデビュー戦で6馬身差の圧勝を決め、2戦目の黄菊賞でもエアダブリンの2着と好走した。


滝野川調教師がまたしても優秀技術調教師に選ばれた1993年は、チェッカースキーなど羅馬オーナーのダート馬の主戦を務めていた井上騎手が引退するという寂しいニュースも入ってきた一方で、チェッカーズ所属のチェッカーイエローがデイリー杯2歳ステークスGIIで勝ち、チェッカーズに初の重賞タイトルを届けるという嬉しい知らせもあった。



コメント


©2022 by Archium Romanium。Wix.com で作成されました。

bottom of page