羅馬 羅馬男の馬主人生 1984年
- 2月13日
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更新日:2月16日
・チェッカーグルメ
日本では敵なしのダートホースであるチェッカーグルメは、昨年に引き続き海外遠征を繰り返した。3月のサンタアニタハンデGIでは9着に敗れたものの、前年と同様にドバイワールドカップに招待された。
2歳年下のダート二冠馬チェッカースキーと初の対決となったドバイワールドカップGIでは、両馬とも世界の厚い壁に跳ね返され、チェッカーグルメは9着に敗れた。
外国馬との力量の差を痛感したチェッカーグルメは、帰国後、名古屋グランプリJpnIIで態勢を立て直そうとした。ここで勝利して得た、2年連続で最優秀ダートホースに選ばれたナツメグポケットを破っての1着は、チェッカーグルメにとって最後の勲章となった。というのも、次走の浦和記念JpnIIでは格下相手の3着に敗れ、老いが感じられたからである。
帝王賞を勝利したチェッカーグルメに恥ずかしい競馬はさせられないと考えた陣営は、チェッカーグルメの引退戦をJRAに二つしかないダートGIの一つ、チャンピオンズカップとした。ここには羅馬オーナー所有馬の次世代を担うチェッカースキーも参戦していた。
チェッカーグルメにとってチェッカースキーとの二度目の対決となったチャンピオンズカップGIは、チェッカースキーの完勝に終わり、チェッカーグルメは8着に沈んだ。世代交代を果たしたチェッカーグルメはコースを去り、種牡馬として第二の競争を始めることとなった。獲得総称金6億7750万円。帝王賞やJBCクラシックなどJpnIを含む重賞9勝。25戦12勝の名ダート馬であった。
・チェッカーロマン
前年は一度も掲示板を外さない安定した走りをしながら1勝しかできなかった善戦馬チェッカーロマンは、年始の京都金杯GIIIで6着に敗れ、菊花賞ぶりの着外となった。
その後、新潟大賞典GIIIでは立て直しての2着、続く函館記念GIIIでも3着、小倉記念GIIIで5着、中京記念GIIIで4着、チャレンジカップGIIIで5着と、北は北海道、西は九州まで様々な競馬場で善戦を繰り返したチェッカーロマンは、1984年も重賞を勝つことができなかった。
・チェッカーアラシ
苦戦の末にオープン馬となったチェッカーアラシは、熟慮の末にもう一年競馬を続けさせることとなった。1984年緒戦となった仁川ステークスでは5着に入ってクラス通用の可能性を見せたが、続くブリリアントステークスでは11着に大敗した。
ここまでかと思われたチェッカーアラシであったが、何と次走のスレイプニルステークスを勝利し、オープン初勝利を飾った。これは滝野川厩舎にとって100勝目の節目に当たる勝利でもあった。しかし、続くラジオ日本賞ではまたもや14着の大敗。スレイプニルステークス勝ちはフロックかと思われた最中、ブラジルカップでは再び1着入線を果たした。
オープン戦を2勝したチェッカーアラシは、重賞で戦える力があるのか確かめるため、名古屋大賞典JpnIIIを使われたが、ここでは地方馬を前に8着に敗れた。これ以上競争を続けさせるよりも、種牡馬とした方が良いと判断した陣営は、ここを最後にチェッカーアラシを引退させた。24戦6勝という競走成績であった。チェッカーアラシは、この年で種付けを引退する父チャミンの後継種牡馬となった。
・チェッカースキー
前年のダート二冠馬チェッカースキーは、1984年緒戦の佐賀記念JpnIIIで、三冠を阻止された宿敵テツノカチドキに先着して雪辱を果たした。
交流重賞を多数勝利しながらも中央GI勝ちの無いチェッカースキーは、JRAに二つあるダートGIを両方取ろうとする。春の中央ダートGIであるフェブラリーステークスに挑戦したチェッカースキーは、1番人気に推されて出走したが、まさかのガレットオーラスの2着に敗れた。
中央GI戴冠を果たせなかったチェッカースキーは、ドバイからの招待を受け容れ、羅馬オーナーの所有する先輩ダート馬チェッカーグルメと共にドバイワールドカップGIに挑んだ。しかし、ここでは世界の壁に阻まれ、9着に沈んだチェッカーグルメと共に、8着に敗れた。
帰国したチェッカースキーは、川崎競馬場を舞台とするエンプレス杯JpnIIで圧勝し、国内敵なしの実力を見せつけたかに思われた。だが、帝王賞JpnIではトムカウトに及ばずの2着に敗れてしまった。そして、次走のエルムステークスGIIIはレコード勝ちするも、日本テレビ盃JpnIIではナツメグポケットの2着、JBCクラシックJpnIではテツノカチドキの2着に敗れ、本番のチャンピオンズカップGI勝利も危ぶまれた。
12月の中京競馬場を舞台に行われるGI競争チャンピオンズカップには、同時代の名ダートホースが勢ぞろいした。2年連続で最優秀ダートホースに選ばれているナツメグポケットを筆頭に、チェッカースキーの三冠を阻止したテツノカチドキ、フェブラリーステークスの勝ち馬ガレットオーラス、米国から参戦するスライトリーフォールド、そして先輩のチェッカーグルメ‥‥。こうしたつわもの達を前に、チェッカースキーは見事チャンピオンズカップ勝利を飾り、中央GIタイトルを得た。羅馬オーナーにとって初の中央ダートGIであった。
こうして2年連続で最優秀ダートホースと羅馬オーナーの所有する最高のダート馬を負かしたチェッカースキーは、文句なしの1984年最優秀ダートホースに選ばれた。これもまた、羅馬オーナーにとって初の栄誉であった。
・チェッカーワタツミ
デビュー戦を勝利で飾ったチェッカーワタツミは、1984年緒戦を4着でまとめた後、あすなろ賞で勝ち上がった。
それほど期待の大きくなかったチェッカーアラシの妹は、比較的早く勝ち上がったことでクラシック挑戦の可能性も示唆されるようになった。そして初の重賞挑戦となったフラワーカップGIIIでは3着に入り、続くフローラステークスGIIでは勝利を飾って重賞勝ち馬の仲間入りを果たした。
意外な素質馬であったチェッカーワタツミは、本番オークスGIでも4着に入り、その実力を見せつけた。次走の府中牝馬ステークスGIIIでは9着に敗れたが、クイーンステークスGIIIでは4着に入り、紫苑ステークスGIIでも2着に連対した。だが、残念ながら秋華賞では14着に大敗してしまった。
この大敗が響いたのか、1984年最後の中日新聞杯GIIIでも10着に敗れてしまったチェッカーワタツミであったが、その能力の高さは疑う余地がなかった。
・チェッカープルトン
関騎手鞍上で新馬勝ちしたチェッカープルトンは、羅馬オーナーの信頼する大島騎手を鞍上に挑んだ2戦目も勝利し、同年代のチェッカーワタツミと共にクラシックを期待される牝馬となった。
エルフィンステークスで2着に連対したチェッカープルトンは、次走のチューリップ賞は和田騎手に乗り替わりながらの5着に入った。そして、大島騎手に手戻って挑んだ桜花賞GIであったが、ここは11着に敗れた。
休養を挟んで挑んだ北海ハンデは2着に敗れたが、一叩きした長久手特別では力の違いを見せつけた。そして秋のクラシック前哨戦ローズステークスGIIで3着に入ったチェッカープルトンは、チェッカーワタツミと共に秋華賞に挑んだが、10着に敗れた。
クラシックシーズンを終えたチェッカープルトンは、3勝クラスの清水ステークス2着で1984年を終えた。
・チェッカーゲンツキ
2月末の遅いデビューとなったチェッカーゲンツキは、レヴィンとハナコというダート血統に生まれた牝馬であった。緒戦で4着と好走したチェッカーゲンツキは、以降、3着を2回繰り返した後の6月の未勝利戦で勝ち上がった。
昇級緒戦を7着としたチェッカーゲンツキは、次走は12着に大敗したが、3戦目で4着と掲示板に入り、4戦目で2着に連対した。
昇級を目前としたチェッカーゲンツキであったが、2勝クラスで苦戦するだろうと考えた陣営は繁殖入りさせることを決めた。1年に満たない短い競走馬生活であった。
・チェッカーノルド
父ノーザンテースト、母ロマーナという良血馬チェッカーノルドは、誕生の時から期待されていた良血馬であった。単勝1.4倍に推された新馬戦は、期待に違わぬ圧勝劇を見せ、一躍クラシック候補に躍り出た。
初の重賞挑戦となったきさらぎ賞GIIIでは8着に敗れたものの、ゆきやなぎ賞で勝ち上がり、青葉賞GIIでも3着に入着した。クラシック挑戦を期待されたチェッカーノルドであったが、その夢は、同世代にシンボリルドルフという絶対皇帝がいたことにより叶えられなかった。シンボリルドルフを恐れた陣営は、クラシック挑戦を諦め、チェッカーノルドに全くの別路線を歩ませることとした。
白百合ステークスを2着としたチェッカーノルドは、レコード勝利を飾った阿寒湖特別と続くムーンライトハンデで古馬相手に連勝し、オープン馬の仲間入りを果たした。神戸新聞杯GIIで2着に連対したチェッカーノルドは、レコード決着となったアルゼンチン共和国杯GIIでもモンテファストの2着に入り、重賞馬となるのもそう遠くないであろう実力を示した。
・チェッカーアクタレ
父ロマニウス、母チェッカーオテンバの牡馬チェッカーアクタレは、大島騎手を鞍上に芝を舞台とした新馬戦では3着に敗れたが、井上騎手を鞍上としたダートを舞台とする2戦目で勝ち上がった。
・チェッカーレガリア
父ロマニウス、母ロマーナという、チェッカーレジーナやチェッカーロマンと同じ配合のチェッカーレガリアはデビュー戦で勝利を飾った。
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