羅馬 羅馬男の馬主人生 1985年
- 2月25日
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更新日:3月4日
・チェッカーロマン
重賞勝利まであと一歩という競馬を繰り返すチェッカーロマンは、前年と一昨年に続き、1985年も善戦どまりかと思われた。緒戦の日経新春杯GIIはサンオーイの3着に敗れ、続くダービー卿チャレンジトロフィーGIIでも2着、リステッドの都大路ステークスでも2着と重賞以外でも勝つことができなかったからである。
7月に挑んだ小倉記念GIIIも5着に敗れたチェッカーロマンであったが、休みを挟んだ9月の京成杯オータムハンデGIIIで好走し、初の重賞制覇を飾った。ここで変わり身を見せたチェッカーロマンは、3ヶ月後の鳴尾記念GIIIでは何とレコード勝ちを決めた。覚醒したかに思われたチェッカーロマンは、現役を続行し、翌年にはGIIに挑戦することとなった。
・チェッカースキー
前年の最優秀ダート馬であるチェッカースキーは、1985年を、フェブラリーステークスへのたたき台としたプロキオンステークスGIIの勝利で始めた。そして本番のフェブラリーステークスGIも逃げ切り勝ちを決め、中央の両ダートGI制覇を達成した。
最優秀ダート馬の力を見せつけたチェッカースキーは、前年8着に敗れたドバイワールドカップGIからの招待を受け、雪辱を晴らそうとしたが、結果は4着。世界の壁の厚さを再度思い知らされた。
帰国後、次の目標を帝王賞JpnIに定めたチェッカースキーは、たたき台のかしわ記念JpnIを人世代上の最優秀ダート馬ナツメグポケットを下して勝ち、本番に挑んだが、ここではまさかの5着に敗れた。
帝王賞で敗れたとはいえ、国内に敵なしと考えた陣営は、ダートの本場である米国の重賞を狙い、チェッカースキーをアメリカへ送った。米国緒戦のモリーピッチャーステークスGIIIを快勝して羅馬オーナーに初の海外タイトルを贈ったチェッカースキーは、西海岸の権威あるGIパシフィッククラシックに臨んだ。米国でも一番人気に推されたチェッカースキーは、ここでレコードを記録しての白星をあげ、羅馬オーナーに初海外GIタイトルを贈った。なお、この週には羅馬オーナーにとって思い入れのあるチェッカーロマンが、日本で初重賞を勝っている。
鞍上の井上騎手にも、調教師の滝野川にも初の海外重賞勝ちをプレゼントしたチェッカースキーは、帰国後、昨年2着に敗れたJBCクラシックを次走の目標とした。と同時に、年内で引退し、繁殖入りすることも発表された。
10月、JBCクラシックJpnIを快勝したチェッカースキーは、自身の最終レースを、日本で年末最後に開催される重賞レース東京大賞典GIとした。ダートにおける有馬記念のような総決算レースである東京大賞典は、地方で開催される唯一のGIでもある。そんな大舞台には、チェッカースキーの引退を見届けようとした多くの観客の期待に応えるように、同時代を代表するダート馬たちが集った。チェッカースキーの前の最優秀ダート馬ナツメグポケットを筆頭に、チェッカースキーの三冠を阻止したテツノカチドキ、帝王賞でチェッカースキーを下したロッキータイガーら名だたるライバルたちが参戦したのである。
チェッカースキーの引退戦である1986年の東京大賞典は長く語られる名勝負となった。最終コーナーを周って直線コースに入ると、これまで幾多の名勝負を繰り広げてきたチェッカースキー、ナツメグポケット、テツノカチドキが、己の執念と名誉をかけての追い比べを繰り広げ、三頭だけの世界を演出した。そして最後に抜け出たチェッカースキーが有終の美を飾ったのである。2着にはナツメグポケット、3着にはテツノカチドキ、大きく離された4着にロッキータイガーという結果であった。
数々の名レースを戦ってきたチェッカースキーは、生涯成績31戦20勝、うち重賞18勝。GIの舞台では9勝、2着5回という戦績であった。1984年に続いて最優秀ダート馬に選ばれただけでなく、ダート馬でありながら最優秀古馬牝馬にも選出された。チェッカースキーは、引退後、繁殖牝馬となっただけでなく、「砂塵の蜃気楼」という二つ名で知られる殿堂馬にも選ばれた。なお、好敵手のナツメグポケットとテツノカチドキは、1986年も現役を続行し、絶対女王不在のダート界を牽引することとなった。
・チェッカーワタツミ
フローラステークスGII以来勝ち星から遠ざかっているチェッカーワタツミは、秋華賞14着のダメージから回復することはなかった。小倉牝馬ステークスGIIIで5着で掲示板に乗った後他は、重賞で11着、16着、12着と二桁着順を繰り返し、リステッド競争ですら18着、14着という惨憺たる結果であった。
これ以上競争を続けさせるのは酷であると判断した陣営は、チェッカーワタツミを引退させ、年内で引退する母チェッカーオテンバの後継繁殖牝馬とした。
・チェッカープルトン
同期のチェッカーワタツミとは異なり、惜しい競争を繰り返していたチェッカープルトンは、1月の寿ステークスで勝利し、オープン馬に昇格して1985年を開始した。
オープン緒戦の洛陽ステークスこそ2着に敗れたが、愛知杯GIIIで重賞初勝利。そこから怒涛の重賞4連覇を成し遂げた。愛知杯GIII、福島牝馬ステークスGIII、府中牝馬ステークスGIII、クイーンステークスGIIIを勝利したチェッカープルトンは、GIIオールカマーに挑んだが、ここは5着に敗れた。
続くGII挑戦となったアイルランドトロフィーで4着に入ったチェッカープルトンであったが、年末のターコイズステークスGIIIで8着に敗れ、同期のチェッカーワタツミと共に走ってきた日々を終え、今度は繁殖牝馬として競い合うこととなった。
・チェッカーノルド
同世代の絶対皇帝シンボリルドルフを避けてきたチェッカーノルドは、古馬となった1985年にその才能を開花させることとなる。
重賞で二連対しながらも勝ちきれなかったチェッカーノルドは、新年緒戦の中山金杯GIIIでも2着に惜敗するも、続く小倉大賞典GIIIで重賞初勝利を挙げた。
オープンの大阪―ハンブルクカップをレコード勝ちして臨んだ目黒記念GIIでは2着に惜敗するも、休みを挟んだ後の七夕賞GIIIでもレコード勝ちして重賞二勝目を挙げ、続く新潟記念GIIIで三連勝を決め、サマー2000シリーズの覇者となった。
ローカルのGIIIを3つ勝ったチェッカーノルドは、京都競馬場で行われるGII京都記念に挑んだが、ここには予想外の強敵が出走していた。そう、絶対皇帝シンボリルドルフである。他にも前年の宝塚記念の勝ち馬スズカコバンやエリザベス女王杯の勝ち馬ロンググレイス、オークスと秋華賞を勝ったダイナカールらGI馬が勢ぞろいした1985年の京都記念は、近年まれに見るスーパーGIIとなった。
レコード決着となるこのスーパーGII京都記念で、シンボリルドルフと最初で最後の一騎打ちを演じたことにより、チェッカーノルドは覚醒することとなる。最終コーナーを周って直線に入ったチェッカーノルドとシンボリルドルフは、二頭の世界での叩き合いを繰り広げたが、最終的には絶対皇帝が抜け出てチェッカーノルドは2着に敗れた。それでも3着スズカコバン以下には大差で勝っており、GI馬に勝てる素質を示した。
そして13戦無敗の最強馬シンボリルドルフに迫った事実はチェッカーノルド自身に自信をもたらし、続くアルゼンチン共和国杯GIIでのレコード勝ちにつながった。チェッカーノルドにとって初のGII勝利であったが、彼の眼差しは遥か遠くにいるライバルであるシンボリルドルフに追いつくため、GIに向かっていた。
・チェッカーアクタレ
前年末に勝ち上がったチェッカーアクタレは、井上騎手を鞍上に、3着、5着、6着、3着と惜しい競馬を繰り返した後の6月に2勝目を挙げた。
2勝クラスでも2着、3着と惜敗を繰り返した後に勝利したが、3勝クラスではクラスの壁に阻まれ7着に敗れた。
まだ3歳馬でありながら、競争意欲の低下がみられるチェッカーアクタレは、年内で引退し、乗用馬となった。
・チェッカーレガリア
姉チェッカーレジーナや兄チェッカーロマンとは違い、デビュー戦を辛勝したチェッカーレガリアは、やはり1勝クラスで苦しめられることとなる。10着、13着という二桁着順の後、6着、3着と徐々に着順を挙げ、6月にようやく2勝目を挙げた。
2勝クラスも苦戦するかに思われたが、昇級緒戦こそ7着に敗れるも、2走目で2着に連対し、3走目で勝ち上がった。
3勝クラスも同様に9着から始め、二走目で4着に入った。どうやら徐々にクラス慣れするタイプのようである。
・チェッカーカイソク
2月に遅いデビュー戦を迎えたチェッカーカイソクは、父チェッカーコウソク、母ハナコというダート血統。
新馬戦で勝ったチェッカーカイソクは、2戦目では9着に敗れるも、続く昇級二走目で2勝クラスに勝ち上がった。
2勝クラスでも4着、5着、4着と掲示板入りをしていたチェッカーカイソクは、11月に3勝目を挙げ、3勝クラスでも勢いそのままに勝利し、オープン馬となった。
・チェッカーカーネル
チェッカーカイソクと共に2月にデビューしたチェッカーカーネルは、父カーネルシンボリ、母チェッカーハゴロモという血統。
新馬戦で2着に敗れたチェッカーカーネルは、その後、2着、3着と惜敗した後に、大島を鞍上として勝ち上がった。
勢いそのままに1勝クラスも勝ったチェッカーカーネルは、2勝クラス緒戦の兵庫特別も2着に連対。その後も2着に入った後の3走目で勝ち上がった。そして中一週で挑んだグレイトフルステークスでも勝利し、同世代のチェッカーカーネルと共にオープン入りした。
1985年、滝野川調教師は0.199のスコアで最多勝率調教師に選ばれた。
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