top of page

羅馬 羅馬男の馬主人生 1987年

  • 3月5日
  • 読了時間: 6分

更新日:3月9日

・チェッカーノルド

前年の年度代表馬に選ばれたチェッカーノルドは、1987年の緒戦を香港ゴールドカップGIで迎えた。レーティング135を獲得し、ニッポーテイオーと共に世界最強馬となったチェッカーノルドは、ベルリン大賞ぶりとなる海外GIで成長した実力を見せ、初の海外GIを獲得した。これは羅馬オーナーにとっても初の海外GIとなった。

香港から帰ってきたチェッカーノルドは、天皇賞春秋制覇を達成するため、天皇賞(春)に挑み、ここでも勝利。GI6勝目を飾った。

ここまで順調であったチェッカーノルドだが、その前に強敵が立ちはだかる。マイルの絶対王者ニッポーテイオーである。安田記念GIでチェッカーロマンを破ったニッポーテイオーは、連闘で宝塚記念に参戦。勢いそのままに2週連続でGIを取ってしまったのである。

ニッポーテイオーの2着に敗れたチェッカーノルドは、世界最高峰のレース凱旋門賞GIに挑むため渡仏した。だが、前哨戦のフォワ賞GIIで6着に敗れ、本番では15着に大敗して帰国した。羅馬オーナー初の凱旋門賞は、こうして無念の内に幕を閉じたのである。

帰国後挑んだジャパンカップGIでもチェッカーノルドは精彩を欠いた走りをしてトリプティクの6着に敗れた。年内引退を宣言していたチェッカーノルドの衰えは明らかであり、最終レースとなる有馬記念GIでも人気を三冠牝馬マックスビューティに譲っていた。

こうして迎えた有馬記念本番。6歳のチェッカーノルドは最年長であり、多くの若駒たちの挑戦を受ける立場となった。一番人気のマックスビューティーは、前年のメジロラモーヌに続く三冠牝馬であり、その勢いを駆ってエリザベス女王杯も勝った新時代の女王。3番人気は皐月賞馬サクラスターオー、4番人気に菊花賞馬タマモクロス、5番人気に前年の有馬記念の覇者ダイナガリバーと、数々のGI馬が出走してきた。さらに、チェッカーノルドとチェッカーロマンのライバルであるスダホークも参戦して混戦ムードが漂った。その有馬記念でチェッカーノルドは前年の年度代表馬の意地を見せたが、最後の直線の叩き合いでタマモクロスに先着を許し、2着に敗れた。なお、このレース中に残念ながらサクラスターオーは故障を発生し、予後不良となった。

有馬記念2着でタマモクロスに世代交代を許したチェッカーノルドは、1987年に引退。GI6勝の功績が讃えられ、父の血統にちなんで「真・極東の踊り子」として殿堂入りを果たした。


・チェッカーロマン

日本のGII、GIII街道を走ってきたチェッカーロマンは、チェッカーノルドと同様に1987年の緒戦を海外で迎えた。チェッカーノルドが香港へ行ったのに対し、チェッカーロマンは渡米、W.L.マクナイトステークスGIIIとフェアグラウンズステークスGIIIを勝って帰国した。

海外重賞を勝ったチェッカーロマンは、国内GIをとるために大阪杯へ挑むも、そこにはマイルの絶対王者ニッポーテイオーが待ち構えていた。2000メートルの距離不安を覆したニッポーテイオーは、チェッカーロマンを下して大阪杯の覇者となった。

大阪杯を2着で終えたチェッカーロマンは、続いてマイラーズカップGIIへ向かい、ニッポーテイオー不在のこのレースを制した。しかし、続く安田記念GIでは再びニッポーテイオーにGIタイトルを阻まれての3着であった。

ニッポーテイオーを避けて渡欧したチェッカーロマンであったが、ベルリン大賞GIで7着、ムーランドロンシャン賞8着と海外でもGIを取ることができなかった。帰国後も海外からトリプティクに富士ステークスGIIの勝利を奪われての2着に敗れた。

気を取り直して挑んだアルゼンチン共和国杯GIIでも2着に敗れたものの、阪神カップGII連覇を果たし、その古豪ぶりを示した。


・チェッカーレガリア

重賞勝ちを期待されたチェッカーレガリアであったが、結局、タイトルを得ることはできなかった。1987年は4着、2着、6着、7着と敗れた後、リステッドで10着に敗れたため、チェッカーレガリアの現役生活にはピリオドが打たれた。後半は除外が相次ぎ、希望のレースに出られないままの無念の引退であった。


・チェッカーカイソク

前年に惜しい競馬をしながらも白星をあげられなかったチェッカーカイソクは、1987年緒戦のポルックスステークスで嬉しいオープン初勝利を飾った。だが、その勢いで挑んだJpnIII佐賀記念はフェートノーザンの9着に敗れ、以降、4着、6着、2着と勝ちきれなかった。

その後、チェッカーカイソクは10月に挑んだ大阪スポーツ杯と11月のカノープスステークスに勝ったものの、名古屋大賞典JpnIIIで3着に敗れ、重賞を勝つことはできないまま引退した。

引退後は父チェッカーコウソクの後継種牡馬となった。


・チェッカーカーネル

前年にオープン勝ちを収めたチェッカーカーネルは、1987年は重賞タイトルを狙った。そしてその機会はすぐに訪れた。1987年緒戦の小倉牝馬ステークスGIIIに勝ったからである。

その後はGIIに挑んだチェッカーカーネルであったが、3着、2着、6着、6着、3着、6着と勝ちきることはできず、一つのGIIIタイトルと共に引退し、繁殖牝馬となった。


・チェッカーゲオルク

ミルジョージとロマーナの子は、チェッカーゲオルクと名付けられて、1月に中山競馬場でデビューした。チェッカーゲオルクは、新馬戦こそ勝利したものの、その後の条件戦で、7着、4着、3着、2着と徐々に前進した後の8月に2勝クラスへ勝ち上がった。

昇級緒戦で勝利を収めて3勝クラスとなったチェッカーゲオルクは、雨の中行われた晩秋ステークスではクビ差の2着に敗れるも、続く北総ステークスでは勝利し、デビューした年の間にオープン馬となった。


・チェッカーユキドケ

サドンソーとプルトニアの子は、チェッカーユキドケと名付けられたが、デビューが遅くなり、新馬戦に出ることはできなかった。それでも初出走の未勝利戦で勝利して力を示した。

その後、1勝クラスで4着、3着、4着、6着と惜しい競馬を繰り返した後の10月、大雨の中で2勝目を挙げ、そこから2勝クラス、3勝クラスと立て続けに勝ち上がり、チェッカーゲオルクと同じくデビューした年の間にオープン馬となった。


・チェッカーフルール

ロマニウスとハナコとの間の子は、チェッカーフルールと名付けられ、2月の京都でデビューした。新馬戦で勝ったチェッカーフルールであったが、以降は9着、5着、8着、7着、3着と凡走を繰り返した後、10月に1勝クラスを突破した。しかし、その後、主戦の東村ジョッキーとの都合が合わず、これが年内最後の競争となった。


・チェッカーアトラス

バンブーアトラスとチェッカーハゴロモの間に生まれたチェッカーアトラスは、12月の新馬戦を後続を10馬身以上離しての圧勝を決め、周囲を驚かせた。


・チェッカークロイツ

シービークロスとロマーナの間に生まれたチェッカークロイツは、新馬戦で武豊騎乗のスーパークリークと激しい戦いを繰り広げての2着に敗れた。



コメント


©2022 by Archium Romanium。Wix.com で作成されました。

bottom of page