top of page

羅馬 羅馬男の馬主人生 1995年

  • 7月10日
  • 読了時間: 8分

・チェッカーカイザー

前年に二つの重賞を勝利したチェッカーカイザーであったが、1995年は惜敗を繰り返すこととなった。日経新春杯GII2着から、ダイアモンドステークスGIII3着、ダービー卿チャレンジトロフィーGIII4着、エプソムカップGIII3着、七夕賞GIII5着、札幌記念GII7着、チャレンジカップGIII4着と入着圏内を行き来していたチェッカーカイザーは、福島記念GIII8着を最後に現役を引退することとなった。


・チェッカーデルニー

前年にGIに2回挑戦して6着、7着と好走したチェッカーデルニーは、1995年を絶好調で駆け抜けた。緒戦の佐賀記念JpnIIIこそ3着であったが、以降、兵庫女王盃JpnIIIからエンプレス杯JpnII、スパーキングレディーカップJpnIII、ブリーダーズゴールドカップJpnIIIまで重賞4連勝。勢いそのままで挑んだ南部杯JpnIでは6着に敗れたが、JBCレディスクラシックJpnIではロマノアイゼンの4着とGI級で入着を果たした。

ロマノアイゼンの7着に終わったチャンピオンズカップGIを最後にチェッカーデルニーは繁殖入りし、祖父レヴィンの血を残す重要な仕事を担うこととなった。

なお、チェッカーカイザーとチェッカーデルニーの引退により羅馬氏のもとから「チェッカー」冠の馬はいなくなり、全馬が「ロマノ」冠となった。一つの時代の終わりといえよう。


・ロマノアイゼン

「砂塵の蜃気楼」チェッカースキーを超えると言われたロマノアイゼンは、その予想に違わぬ走りを見せ、羅馬オーナーを代表する名ダート牝馬となった。

1994年を全連対で終えたロマノアイゼンは、1995年も驚異的な実績を残した。フェブラリーステークスGIの勝利で1995年シーズンを始めたロマノアイゼンは、ドバイワールドカップGIこそ7着に敗れたが、帰国後は、名古屋グランプリJpnII、帝王賞JpnI、白山大賞典JpnIII、JBCレディスクラシックJpnI、チャンピオンズカップGIと重賞を5連勝した。

生涯成績22戦6勝、うちGI級7勝。馬券圏外になったのは3回のみという圧巻の記録を残したロマノアイゼンは、母チェッカースキーの血をさらに広げるため6歳で引退して繁殖入りした。なお、ロマノアイゼンは最優秀ダート馬にして最優秀4歳以上牝馬となっただけでなく、「ダートクイーン」の称号を与えられ、偉大な母のように殿堂入りした。


・ロマノアントニウス

3歳時の皐月賞GIを除き掲示板を外さない安定した走りを見せるロマノアントニウスであったが、次第にその走りに陰りが見え始める。

中山金杯GIII3着で1995年を始めたロマノアントニウスは、京都記念GII2着、日経賞GII2着、目黒記念GII2着、新潟記念GIII5着と安定して掲示板に載り続けたが、京都記念GIIでは10着に大敗。鳴尾記念GIIIでも6着と掲示板を外してしまった。しかし、これらの敗因は東村からの乗り替わりにあったと判断した陣営は、ロマノアントニウスの現役続行を決めた。


・ロマノソレイユ

1994年に惜敗を続けたロマノソレイユは、1995年緒戦のクイーン賞JpnIIIでは勝利できたが、続くアンタレスステークスGIIIでは6着に敗退。以降は昨年と同じく、三宮ステークス、エルムステークスGIII、レディスプレリュードJpnII、浦和記念JpnIIをそれぞれ2着、2着、3着、3着と惜敗を強いられた。

チェッカースキーの血を引くロマノソレイユは、ダートグレード競争の好走よりも繁殖の方が価値あると判断され、1995年末に引退した。


・ロマノグリーン

牝馬クラシック皆勤賞のロマノグリーンは、前年末のターコイズステークスGIIIで重賞初勝利を挙げ、東京新聞杯GIII2着を経て、金鯱賞を勝ってGII馬となった。

大阪杯GIでも3着に抗争したロマノグリーンは、ヴィクトリアマイルGIではホクトベガの2着に迫ったが、村田に乗り替わった関屋記念GIIIでは8着に敗れた。だが、東村に手戻った新潟記念GIIIでは3つ目の重賞タイトルを手にすることができた。その後、アイルランドトロフィーGIIで5着に入着したロマノグリーンは、現役を引退して繁殖にあげられた。


・ロマノシービー

惜しい競馬の多いロマノシービーは、その傾向をズルズルと引きずっていた。2勝クラスで4着、7着、12着、14着、13着と順位を落としていったロマノシービーは、引退の他に道はなかった。


・ロマノクローチェ

ホープフルステークスGIで牡馬相手に3着に健闘したロマノクローチェは、1995年の牝馬クラシックの有力候補となった。

若竹ステークスを快勝して前哨戦のチューリップ賞GIIに臨んだロマノクローチェは、ここで重賞初勝利を難なく成し遂げ、本番の桜花賞GIに向かった。

ライデンリーダーを退けて牝馬クラシックの一冠目を手にしたロマノクローチェは、勢いそのままでオークスGIに出走し、二冠戴冠を果たした。

夏休み後、緒戦のクイーンステークスGIIIこそアグネスパレードの2着に敗れたが、ここが叩きであったことは続くローズステークスGIIの勝利からも明らかであった。

羅馬オーナーにとって初の三冠がかかった秋華賞GI。羅馬、滝野川、大島の名コンビは牝馬を得意とすることで知られていたが、三冠を達成したことはなかった。そんな中、大島騎手の引退に伴い、東村が主戦となったロマノクローチェは、牝馬三冠という歴史的快挙を成し遂げることとなった。

悲願を達成した陣営であったが、彼らの喜びはこれに留まらなかった。というのも、初の古馬との戦いとなったエリザベス女王GIも勝利し、一年の間に4つのGIタイトルを手にしたからである。ナリタブライアンやホクトベガ、ヒシアマゾンも出走した年末の有馬記念GIはマヤノトップガンに敗れての3着であったが、その敗北は彼女を最優秀3歳牝馬とする妨げとはならなかった。しかし、年度代表馬の座は8票の僅差でナリタブライアンに奪われてしまった。


・ロマノエクスプレス

新馬戦を快勝していたロマノエクスプレスは、1995年緒戦の1勝クラスも難なく突破し、ヒヤシンスステークスに挑んだが、ここは3着に敗れた。以降、伏流ステークス2着、ユニコーンステークスGIII3着と惜しい競馬を繰り返したロマノエクスプレスは、自己条件に戻って熊本城特別、瀬戸ステークス、大阪スポーツ杯を3連勝した。中でも瀬戸ステークスはレコード勝ちの偉業を成し遂げている。


・ロマノオーストリア

2つの2歳重賞に挑んでいたロマノオーストリアは、3歳緒戦のゆりかもめ賞を勝利し、続くフラワーカップGIIIで嬉しい重賞初勝利を挙げた。

桜花賞GIでは羅馬オーナーの三冠馬ロマノクローチェの6着に敗れ、以降も京都新聞杯GII9着、ラジオNIKKEI賞6着と掲示板を外したが、紫苑ステークスGIIで二つ目の重賞タイトルを手にした。だが、その後は京都大賞典GII13着、アルゼンチン共和国杯GII9着と走りに精彩を欠いてしまった。


・ロマノツァイト

新馬戦を快勝したロマノツァイトは、1995年緒戦の1勝クラス、続くエルフィンステークス、アネモネステークス、フローラステークスGIIとデビューから無傷の5連勝を達成した。

羅馬オーナー、滝野川調教師、そして大島に代わって主戦となった東村騎手陣営には、折しも、三冠牝馬となるロマノクローチェがいた。このままロマノツァイトとロマノクローチェを同じ戦場に出したら互いにつぶし合うこととなったしまう。それを避けるために一方を牝馬三冠路線に載せ、もう一方を海外へ送ることが計画された。そして国内で戦うこととなったのがロマノクローチェであり、外国へ挑戦することとなったのがどっしりと落ち着きのあるロマノツァイトであった。仮にこの判断がなければロマノクローチェの牝馬三冠という栄誉は実現しなかったかもしれない。

ロマノクローチェが国内で三冠戦線を戦っている最中、渡欧したロマノツァイトはまずフランスオークスGIに挑んだ。だが残念ながら、ロマノクローチェが日本のオークス馬となれたのに対してロマノツァイトがオークス馬になることはできなかった。

フランスオークス6着と初の敗北を喫したロマノツァイトは、アイルランドオークスGIにも挑戦したが8着に敗退。帰国後に挑んだ神戸新聞杯GIIもマヤノトップガンに後塵を拝しての3着。順風満帆のロマノクローチェとは対照的に、無敗であったロマノツァイトは、海外遠征を機に敗北を繰り返すこととなってしまった。

「判断を間違えたか」という反省と「初志貫徹すべき」という信念がせめぎ合う中、ロマノツァイトは再び海外へと送られる。向かった先は米国、挑むのはサンズポイントステークスGII。米国で活躍するルジー騎手に導かれたロマノツァイトは、陣営の気持ちに応えるかのように外国で初の重賞制覇を飾った。「判断は間違っていなかった」と安堵した陣営は、ロマノツァイトをオークス馬にできる最後の機会であるアメリカンオークスに望みをかけたが、ここは6着に敗れている。


・ジンベェ

繁殖用に購入されたジンベェは、1994年に勝ち上がりこそしたが、1995年は厳しい戦いを繰り返した。1勝クラスで4着、7着、3着、4着、4着と掲示板を行き来していたジンベェは6月に小倉で2勝目を挙げたが、昇級後は再び6着、2着、5着、2着、7着と掲示板を行き来した。

もともと繁殖用に購入した馬であったため、これ以上は知らせる必要はないという陣営の判断で、ジンベェは1995年に引退した。


・ロマノニコラス

父ニコラス、母チェッカークロイツという黒鹿毛の牡馬はロマノニコラスと名付けられ、1995年におけるJRA最初の新馬戦で4馬身差の快勝をした。極めて早い時期にデビューで来たロマノニコラスは、そこから3歳クラシックを目指して走ることとなるが、その道のりは決して平坦ではなかった。

2戦目となったコスモス賞ではチェッカーズのチェッカーオウカンに4馬身差をつけられての完敗。続く札幌2歳ステークスGIIIでは5着、芙蓉ステークスでは勝利するも、東スポ杯2歳ステークスGIIではエアグルーヴの7着に敗れた。


・ロマノヒャクマン

1995年にデビューしたチェッカーズの馬は強者揃いであった。チェッカーゼアミとチェッカープルトンの間に生まれたロマノヒャクマンは、デビュー戦でチェッカーオウジとの壮絶な叩き合いを制して辛うじて新馬勝ちを決めたが、その相手は後にロマノニコラスをコスモス賞で破ることとなるであろう。

2戦目となった赤松賞では、短期免許で来日しているボデュワを鞍上に勝利したが、三戦目のホープフルステークスGIではまたしてもチェッカーズに属するチェッカーイギリスに敗退した。なお、この勝利はチェッカーズにとって最初のGIタイトルとなる上に、チェッカーイギリスは翌年のクラシック戦線でも活躍を見せることとなるであろう。



コメント


©2022 by Archium Romanium。Wix.com で作成されました。

bottom of page