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羅馬 羅馬男の馬主人生 1996年

  • 7月24日
  • 読了時間: 6分

・ロマノアントニウス

1995年は1勝もあげることのできなかったロマノアントニウスであったが、1996年は緒戦の中山金杯GIIIを快勝すると、以降は金鯱賞GII、アルクール賞G2、目黒記念GIIと海外重賞も含め2着を3回と順調な走りを見せた。

そして7月の七夕賞GIIIでは5つ目の重賞タイトルを手にし、続くドーヴィル大賞典G2でも2着。帰国後の毎日王冠GIIでは初のGII勝ちを飾った。

その後挑んだ天皇賞(秋)GIは、サクラローレルら相手が強く8着に敗退し、年末の鳴尾記念GIIIも4着に敗れた。34戦11勝、うち重賞6勝をあげたロマノアントニウスは、6歳という事もあり、この鳴尾記念を最後に引退した。


・ロマノクローチェ

前年の四冠牝馬ロマノクローチェは、有馬記念GIで敗北を喫して以降、メンタルの回復に手間取っていた。中山記念GIIの3着で1996年を始めたロマノクローチェは、大阪杯GI2着、ヴィクトリアマイルGI2着、宝塚記念GI4着と惜敗を続けていた。

休みを挟んで臨んだ札幌記念GIIをレコードで勝利したロマノクローチェは、復調の兆しを見せ、勢いそのまま   で行われるG1であるE.P.テイラーステークスに挑んだ。   のみならず世界の馬産に大きな影響を与えたオーナーブリーダーの名を冠したこのレースで、ロマノクローチェは、一番人気に推され、そして見事その期待に応えてみせた。こうして日本の四冠牝馬は、世界に知られる名牝となったのである。

帰国後ロマノクローチェは、天皇賞(秋)GIと有馬記念GIに参戦するも、共にサクラローレルの3着に沈んだ。


・ロマノオーストリア

走りに精彩を欠くようになったロマノオーストリアは、1996年緒戦の中山記念GIIIでもロマノアントニウスの5着に敗れたものの、2月に挑んだダイアモンドステークスGIIIでは、約半年ぶりの勝利をあげることができた。

しかし、以降は衰退が顕著であり、日経賞GII7着、新潟大賞典12着、七夕賞GIII9着、チャレンジカップGIII6着、福島記念GIII5着、ターコイズステークスGIII5着と掲示板に載るのも難しくなっていたロマノオーストリアが引退するのも仕方がなかった。


・ロマノエクスプレス

ロマノエクスプレスは、時々出てくる「実力はあるが運に恵まれない馬」であった。馬券圏外になったことのないロマノエクスプレスであったが、競争除外や騎手の都合、出走距離の問題や賞金不足などにより中々レースに出走することができなかった。

約4か月ぶりの競馬となった1996年緒戦のアルデバランステークスでも快勝したロマノエクスプレスは、1ヶ月後の兵庫女王盃JpnIIIで重賞初性をあげると、2ヶ月後のエンプレス杯JpnIIでジーツー級初制覇を果たした。翌月の帝王賞JpnIは、流石に相手が強すぎたか、4着に敗れたが、2か月後のブリーダーズゴールドカップJpnIIIではしっかりと勝利を収めている。

2か月空いたJBCクラシックJpnIではまたしても5着に敗れ、以降は、出走機会に恵まれないまま1996年を終えた。


・ロマノツァイト

外国を転戦してきたロマノツァイトは、1996年も様々な競馬場を駆け抜けた。

最初の2戦は米国を舞台にルジーを鞍上に戦われた。しかし結果は、ザベリワンステークスG3の4着とビウィッチステークスG3の2着と一番人気に応えることができなかった。

6月にフランスへ渡ったロマノツァイトは、来日経験もあるボデュワを鞍上にラ・クープG3に挑戦するも、ここも5着に沈んだ。

一度帰国したロマノツァイトは、小倉記念GIIIも2着に敗れ、その実力に疑問の声もあがりはじめた。しかし、陣営は諦めず、8月には再びフランスへ渡りゴントービロン賞G3にレムサンと共に挑戦したが、ここも7着と結果を残せなかった。

海外遠征を諦めた陣営は、日本での重賞に焦点を絞るも、オールカマーGIIではサクラローレルの5着、エリザベス女王杯GIではホクトベガの3着と苦戦を強いられた。だが、12月の中日新聞杯GIIIでは、14か月ぶりに勝利をあげ、実力を示すことができた。


・ロマノニコラス

クラシックを期待されていたロマノニコラスの走りは、残念ながら歴史に名を残す水準のものではなかった。

1996年緒戦のシンザン記念GIIIは6着に終わり、弥生賞GIIでは13着と大敗。以降はチャーチルダウンズカップGIII2着、NHKマイルカップGI7着、ラジオNIKKEI賞GIII2着、関越ステークス6着、京成杯オータムハンデ3着と惜しい競馬を繰り返したものの、カシオペアステークスでは13着に敗れ引退した。13戦2勝、重賞を勝つことはできなかった。


・ロマノヒャクマン

ホープフルステークスGIで3着に入るなど、この年の皐月賞馬となるチェッカーイギリスのライバルと目されたロマノヒャクマンであったが、それは過大評価であったようだ。というよりも、チェッカーイギリス自身の能力も、皐月賞以降の凡走を見ると、それほど高くなかったといっていいだろう。

1996年緒戦のエルフィンステークス2着、続くスプリングステークスGII5着、白百合ステークス7着と着順をどんどんと落としていったロマノヒャクマンを見た陣営は方針を変更し、彼女を自己条件に戻した。

流石に条件戦は2連勝したロマノヒャクマンは、オープン馬となれたものの、昇級緒戦のアンドロメダステークスでは5着に敗退。しかし、ディセンバーステークスで5勝目をあげることができ、周囲に再評価を促した。


・ロマノトルコ

チェッカースキーとターコマンの間に生まれたロマノトルコは、小倉ダート1700mで行われた新馬戦を6馬身差で圧勝し、ダートの新星と期待された。しかし、上には上がいるもので、彼女はJBC2歳優駿JPNIII2着、全日本2歳優駿Jpn3着と、いずれもサンライズパワーというライバルに道を阻まれることとなる。

・ロマノフィナーレ

ロマーナの最後の産駒は、ラストタイクーンの子であった。ロマノフィナーレと名付けられたその牝馬は、新馬戦を7馬身差で圧勝し、名繁殖牝馬としての母の最後の栄光になろうとした。

2戦目の新潟2歳ステークスGIIIで勝利して早くも重賞勝ち馬となったロマノフィナーレであったが、アルテミスステークスGIIIとデイリー杯2歳ステークスと続く2戦は同世代のライバルとなるシーキングザパールの2着に惜敗する。そして阪神ジュベナイルフィリーズGIでは、歴史的名牝と名高いメジロドーベルと戦い、4着に敗れた。


・ロマノクリス

チェッカーヒメとクリスエスの子ロマノクリスは、新馬戦を大差勝ちし、周囲を驚かせた。だが、そのロマノクリスは2戦目の東スポ杯2歳ステークスGIIで、メジロドーベルという牝馬に敗北を喫することとなる。年末のホープフルステークスGIにおけるロマノクリスの勝利は、彼の強さよりも、メジロドーベルの強さを際立たせる結果となった。


・ロマノヘリオス

ダイタクヘリオスとチェッカークロイツの子ロマノヘリオスは、新馬勝ち後、札幌2歳ステークスGIII2着後、サウジアラビアロイヤルカップGIIIで初の重賞勝利を狙った。しかし、ここではロマノフィナーレとロマノクリスをねじ伏せることとなるメジロドーベルに敗れての4着。京都2歳ステークスGIIIではメジロブライトの2着に敗れ、ロマノはメジロに苦しめられることとなった。


・ロマノレーニア

シアトルスルーとチェッカープルトンとの間に生まれたロマノレーニアは、12月阪神で行われた新馬戦に勝利した。



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