検索


羅馬 羅馬男の馬主人生 1985年
・チェッカーロマン 重賞勝利まであと一歩という競馬を繰り返すチェッカーロマンは、前年と一昨年に続き、1985年も善戦どまりかと思われた。緒戦の日経新春杯GIIはサンオーイの3着に敗れ、続くダービー卿チャレンジトロフィーGIIでも2着、リステッドの都大路ステークスでも2着と重賞以外でも勝つことができなかったからである。 7月に挑んだ小倉記念GIIIも5着に敗れたチェッカーロマンであったが、休みを挟んだ9月の京成杯オータムハンデGIIIで好走し、初の重賞制覇を飾った。ここで変わり身を見せたチェッカーロマンは、3ヶ月後の鳴尾記念GIIIでは何とレコード勝ちを決めた。覚醒したかに思われたチェッカーロマンは、現役を続行し、翌年にはGIIに挑戦することとなった。 ・チェッカースキー 前年の最優秀ダート馬であるチェッカースキーは、1985年を、フェブラリーステークスへのたたき台としたプロキオンステークスGIIの勝利で始めた。そして本番のフェブラリーステークスGIも逃げ切り勝ちを決め、中央の両ダートGI制覇を達成した。 最優秀ダート馬の力を見せつけたチェッカース


羅馬 羅馬男の馬主人生 1984年
・チェッカーグルメ 日本では敵なしのダートホースであるチェッカーグルメは、昨年に引き続き海外遠征を繰り返した。3月のサンタアニタハンデGIでは9着に敗れたものの、前年と同様にドバイワールドカップに招待された。 2歳年下のダート二冠馬チェッカースキーと初の対決となったドバイワールドカップGIでは、両馬とも世界の厚い壁に跳ね返され、チェッカーグルメは9着に敗れた。 外国馬との力量の差を痛感したチェッカーグルメは、帰国後、名古屋グランプリJpnIIで態勢を立て直そうとした。ここで勝利して得た、2年連続で最優秀ダートホースに選ばれたナツメグポケットを破っての1着は、チェッカーグルメにとって最後の勲章となった。というのも、次走の浦和記念JpnIIでは格下相手の3着に敗れ、老いが感じられたからである。 帝王賞を勝利したチェッカーグルメに恥ずかしい競馬はさせられないと考えた陣営は、チェッカーグルメの引退戦をJRAに二つしかないダートGIの一つ、チャンピオンズカップとした。ここには羅馬オーナー所有馬の次世代を担うチェッカースキーも参戦していた。...


羅馬 羅馬男の馬主人生 1983年
・チェッカーグルメ 羅馬オーナーの所有する名ダート馬チェッカーグルメは、デビュー戦を芝で勝利した。チェッカーグルメはこれまでダートを主戦場としてきたが、芝の適正もあったのである。このことから陣営は、チェッカーグルメの1983年緒戦を芝のAJCCとした。そして、チェッカーグルメは、2年連続で年度代表馬に選ばれるアンバーシャダイの2着と健闘したのである。AJCCで自信をつけた陣営は、チェッカーグルメの戦場をダートに戻し、3月にダイオライト記念JpnIIで同馬にとって7つ目の重賞を獲得した。 そして、日本最強のダート馬の一頭となったチェッカーグルメに、なんと、ドバイから招待状が届いた。世界最強のダート馬を決めるドバイワールドカップへの参戦を発表した陣営は、日の丸を背負ってドバイへ遠征した。 羅馬オーナーにとって初の海外挑戦となったドバイワールドカップGIは12頭中の7着という結果に終わったが、チェッカーグルメはより一層成長して帰国した。 帰国後、地方競馬で最も栄誉ある賞の一つである帝王賞JpnIを勝利したチェッカーグルメには、国内で既に敵はいなかった。
